Chapter25:「式神」

「ドスッ!・・・・ドスッ!・・・・ドスッ!」

柏原町にあるタワーマンションの4106号室に住んでいる映画監督の成川滋は、隣の4107号室から響いてくる騒音で目を覚ました。彼は、80年代に処女作のホラー映画「Trillion」が海外の映画祭で高い評価を得て、国内でも注目されるようになった。50代になると、TVのワイドショーのコメンテーターなどを務め、歯に衣着せぬ毒舌トークが視聴者の主婦層を中心に人気を博していた。しかし、その一方で、かつてのファンから、近年は新作を撮らずにタレント活動ばかり専念していると揶揄される事も少なくなかった。

「うるさいなぁ・・・プロデューサーの堀さん?・・・あれ?隣りの部屋か・・・・玄関の扉を叩いていたのは君なの?」

そこには、金属バットを持った長髪の女子小学生が立っていた。彼女は、奇抜なデザインのパジャマ姿で現れた映画監督を無視して、何度も4107号室の扉を蹴り続けた。

「君は、ここの住人じゃないんだろう?・・・その制服を見る限り、透子ちゃんと同じ学校の子でも無さそうだな・・・何があったのか知らないけど、お隣の山際さんなら3日前に引越したよ」

「・・・・・引越した?・・・・あいつらは、何処へ行ったの?」

ようやく顔を向けた少女の表情を見て、成川はどきりとした。彼は今年になって、久しぶりの新作ホラー映画の撮影準備を進めていた。しかし、肝心の主人公となる「影のある美少女」のキャスティングが難航していて、その企画自体が頓挫しそうになっていた。目の前に立っている少女は、自分たちが探していた条件に全て合致する逸材だった。彼は腕組をしながら、玲於奈の周りをぐるりと一周した。

「君は、いい面構えしてるな・・・スタイルもいいし、タレントの素質があるよ。僕の映画のオーディションを受けてみないか?」

「私は、ここに住んでた人間の居場所を聞いてるのよ!」

成川滋は、少女が悪態をついても全く動揺しなかった。彼の映画はハリウッドのB級ホラーのように素行の悪いティーンエイジャーがその報いから惨殺されるというストーリーの物が多かった。自傷癖のある家出少女に密着したドキュメンタリー映画も撮っていて、その手の子供の扱いには慣れていた。

「引越し先は、個人情報だから教えるわけには行かないけど・・・君の連絡先を教えてくれれば、悪いようにはしないけどね」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

玲於奈は、不機嫌そうな表情でその場を立ち去ったが、翌日になって、再びタワーマンションの成川滋の部屋の前に姿を現した。

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長嶺洋一は、春原がイギリスから持ち帰った埃の被った18世紀の書物を前にしながら、唸り声をあげていた。

「春原君、私は三井君の行動が全く理解出来ない・・・彼が何をやり残したって言うんだ?」

「三井は亡くなる直前に、俺の出版社宛に貸金庫のキーと暗証番号のメモを同封した封書を送り付けていました。彼の研究データは息子の三井悠の手でほとんど処分されたそうですが、唯一残していた物があったんです。金庫の中にあったのは、世界各地の操影法のルーツに関する数千枚の資料だった。彼がこれを集め出したのは、俺たちが影の研究を始める10年前なんですよ。あいつは、もしかしたら、自分が死亡する時期が分かっていたのかもしれない・・・・」

「そんな馬鹿な・・・・・おそらく、彼の死因は自殺だろう。自分で大量のガソリンを浴びて引火させたんだよ。確かに、改めて彼の素性を調べたら、奇妙な経歴がたくさん出てきた。一番驚いたのは、遺体遺棄事件の捜査を担当していた瓜生智明の祖母に、幼い頃に誘拐されていた、という事実だ。彼と瓜生が仲間だった可能性も考えられるが、あの刑事は何かの事件に巻き込まれて、愛車のセダンごと狭山湖に沈められたようだ・・・・もしかしたら、あの件にも三井君が加担していたのかもしれないが・・・・今となっては二人とも故人になってしまったから調べようが無い」

春原は舌打ちをして、長嶺の机に拳を下ろした。

「この期に及んでまだ芝居を続ける気ですか、長嶺さん。あなたは三井孝彦の計画を最初から知っていた筈だ!」

「計画!?・・・・何の事だ?・・・誤解だよ、春原君・・・私は三井君と付き合いは長いが、この件については何も聞かされていない」

「三井が残した資料によって、ようやく意味が分かりましたよ。あの正八角形の方位盤は、インドの大災厄で呪術師ニーシャ・ルドラも使っていたものだったんだ。去年の6月3日の深夜に、三井孝彦は十二方位を利用して何かを呼び出した。それが南北朝時代の「不動利益縁起」の絵巻に描かれている『式神』なのか、或いはもっとタチの悪いものかもしれないが・・・あなたは翌日から足繁く四国地方へ通って、ある人物を東京に連れて帰った。名目上は安曇家の親族になっているが、あの少年は悪性の脳腫瘍で余命幾許も無い事はセフィロトの医師全員が分かっていた。つまり、あなたは手の施しようのない末期患者を安曇家の養子として迎え入れたんだ。これは、あまりにも不自然な行動じゃないですか?」

長嶺は、暫く黙って春原の言葉を聞いていたが、ゆっくりかぶりを振って、その理由を説明し始めた。

「萩人君は、私が呼んだんじゃない・・・・播磨山に遺体が置かれたあの晩に、彼が私のところへ電話をかけてきたんだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・!?」

「子供の声で自分は「安曇恭太郎」だと名乗っていた。そして、こう言ったんだ『僕をここから連れ出して・・・あいつの動きを鎮めるためにカドラプルは必要なんだ・・・手遅れになる前に全てを終わらせる』と・・・・これらの言葉は、いつも病床でうわ言のように呟いていたらしいが、里親たちは彼の病気のせいだと思い込んでいた・・・今でも、思い出すよ。彼は深夜の公衆電話で小銭をつぎ込んで、何度も途切れながら電話をかけてきた・・・600キロも離れた場所から、必死になって私に真実を伝えようとしていたんだよ」

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山際健司が潜伏している廃墟のリゾートホテルの屋上で、幼い兄妹がダンボール箱を裁断していた。

「絵の具はどこにあるの?お兄ちゃん」

妹の凛(りん)がウサギの形に切り抜いたダンボールを引き摺りながら、ロボットの絵を描いている兄の樹(たつる)に尋ねた。

「あ・・・持ってくるの忘れた。取りに行ってくるから、風で飛ばされないように見張ってろよ」

樹が屋上の入り口まで走り、ドアを開けると、そこにはいつものようにレインコートを着た一ノ瀬透子が立っていた。樹が慌てて妹に振り向いて何かの合図をした。妹は慌ててダンボールを隠して、誤魔化すようにその周りをスキップし始めた。

「あなた達、屋上で遊んじゃいけないって、パパに何度も叱られたでしょう?・・・どうして、言う事を聞かないの?」

透子はキツイ口調で言ったつもりだったが、幼い兄妹はすぐに近寄ってきて、彼女に抱きついた。

3人は屋上からホテル1Fのガーデンプールを突き抜けて横転している材木運搬用の10トントラックを眺めていた。

「・・・・・パパが、悪い魔法使いが現れて私たちをさらうって言ってたけど本当なの?」

「違うよ、パパはあの乗り物に乗って現れた魔法使いを全部倒したんだよ・・・ねぇ?お姉ちゃん」

兄の樹はニコニコ笑いながら、透子の手をギュッと握った。しかし、その幼い少年の手は僅かに震えていた。透子は彼の柔らかい手を力強く握り返した。

「いずれにしても、この建物は悪い人間に狙われているの・・・遊びたければ、館内のイベントホールを使いなさい」

「はーい・・・」

2人はコソコソと屋上の荷物を片付け始めたが、それが翌日の透子の誕生日を祝うための飾りである事に彼女は気付いていた。

透子はその様子を見守りながら、去年の誕生日の悪夢を思い出していた。

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2010年03月19日(金曜日)

柏原町の住宅地にある3階建ての木造アパートで不審火が起きた。

その建物は、近年の法改正(木造3階)に基づいて新築された都市型の賃貸住宅で、山際健司が関わっている企業の外国人労働者が多く入居していた。山際が16年前にインドから呼び寄せたニーシャ・ルドラの遺族もそこに引っ越していた。

日本で生まれ、当時10歳の誕生日を迎えていたシータル・ルドラ(一ノ瀬透子)は3階の窓からゴミ集積所で火を点けている男の影を目撃していた。

シータルが就寝中の家族を起こしたが、その間に火は1階を囲んでいる庭の立ち木に燃え移り、アパートの住民が騒ぎ出した頃には、階下に降りるための非常階段まで火の手が回っていた。やがて、建物全体が黒煙に包まれ、シータルの家族を含む3階の住民のほとんどが一酸化炭素中毒で死亡した。

いち早く火事に気付いた筈のシータルまで逃げ遅れたのは、山際健司に貰った誕生日プレゼントの双子の仔犬を探していたからだった。ようやく2匹を見つけた頃には、部屋全体が炎に包まれ彼女は窓際に追い詰められていた。アパートの周辺には人だかりが出来ていたが、連休の渋滞で消防車の到着が遅れていた。

「熱い!・・・・熱いよぉ!!」

双子の犬を庇うようにして、自分の髪や背中に火が燃え移り、彼女は窓から断末魔の悲鳴を上げた。

火事の連絡を受けて駆けつけた山際は部下に指示して、車両飛び込み事故を防ぐ時に使う大型のセーフティーエアバッグを庭に設置した。そこへ、化学実験に使っている耐火性防護服を着用した三井孝彦が現れて、火の海で倒壊しかけているアパートの3階まで駆け上がった。そして、仔犬を庇うようにして全身火傷を負っているシータルを救出し、彼女と共に黒煙が噴き出している窓から飛び降りた。

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材木運搬用の大型トラックで山際のリゾートホテルに強行突入した長嶺諒子は、正面ゲートが大騒ぎになっている隙に、建物の反対側に周り館内へ潜入した。ホテルの中は、廃墟のような外観とは対称的に現在も営業中かと見紛うほど、内装の手入れが行き届いていた。

「銃撃戦を仕掛けてきたのは安曇グループだ!・・・あいつらの実働部隊は数こそ少ないが、イギリスのSASに所属していた者もいる。正面玄関の警備が突破される前に応援に行ってくれ!」

諒子は遠巻きに、背広を着た幹部が、若いスタッフにアサルトライフル〈SCAR-L〉を手渡している様子を窺っていた。武器を持ったスタッフと入れ替わるように、山際健司が現れ、幹部の1人に耳打ちしてエレベーターホールに移動した。諒子は山際が地下3階に移動した事を確認して、階段を駆け下りていった。

地下3階は、シェルターを思わせる分厚い装甲ドアが設置されていて、入り口のロックは外されていた。諒子は拳銃を構えながら、その扉の中へ転がり込んだ。その瞬間にフロアの照明が消えた。

彼女は暗闇の中、床を這うように移動しながら暫く様子を窺っていたが人の気配は全くしなかった。この地域は、東北の地震の影響で電力供給を維持する為の「計画停電」のグループに入っていたが、その日は停電の告知は無かった。諒子はベルトに装着していたフラッシュライトを構え、室内の様子を調べ始めた。そこに照らし出された異様な光景を目の当たりにして、彼女は思わず息を呑んだ。

そのフロアには、黒猫の剥製や頭蓋骨などの骨格標本、ホルマリン漬けの内臓、壁一面に猫の死体写真が貼られていた。まるで、猟奇趣味の蒐集家のプライベートルームに迷い込んだような気分になった。諒子は、特にインパクトのある血まみれの人間の胎児を銜えた恐ろしい形相の黒猫の絵を見ながら呟いた。

「お父さんは、ただの野良猫だと言ってたけど・・・やっぱり、あの黒猫が何か関係しているのね」

「・・・・・しばらく見ない間に大きくなったね、諒子ちゃん・・・・君のお父さんのおっしゃる通り、このフロアに飾られている猫は、解剖学的にはただの黒猫ブリティッシュ・ボンベイだよ・・・私はエドガー・アラン・ポーの小説に登場するプルート(冥界を司る神)のような猫が実在すると思って色々と調べたが、決定的な証拠は何一つ見つからなかった」

諒子がライトを翳して振り向くと、そこにはガスマスクを付けた山際健司が立っていた。彼女は即効性のあるロシア製の催眠ガスを噴霧されて、その場で意識を失った。

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諒子が意識を取り戻したのは、ホテルの更に奥深く、最下層に作られた監禁部屋のベッドの上だった。彼女は手足を鎖で繋がれ、衣服も下着のキャミソールしか身に着けていない状態だった。薬物によって意識がコントロールされ、何人かの男に性的陵辱された記憶がぼんやりと蘇ったが、自分が何故この部屋にいるのか分からないぐらい朦朧としていた。

ベッドの下から耳障りな金属を削る音が鳴り響いていた。手足を拘束していた鎖が緩み、諒子が身体を起こすと、そこには電動工具のディスクグラインダーを持った森崎空が立っていた。

「あなたは・・・・空?・・・・こんな所で何をしてるの?・・・あなたも山際に捕まっていたんじゃないの?」

空は残りの鎖をグラインダーで削りながら説明した。

「あのトラックがホテルの庭に設置された電波遮断機を壊したから、携帯で美月と連絡が取れたのよ・・・彼女が色々教えてくれたわ・・・・まず、美月のケアワーカーの城戸諒子が行方不明になっている事・・・そして、玲於奈が山際の家族の潜伏先を見つけて、こっちに向かっている事・・・・・・あいつは一ノ瀬透子を見つけ出して、必ず殺すわ」

諒子は、金属バットを持った玲於奈が、図書館の駐車場で透子を襲った日の様子を思い出していた。

「どうして、あなたたちは子供どうしで殺し合わなくちゃいけないの?」

空は電動工具を片付け、それと持ち替えるようにショルダーバックの中から血染めのバールを取り出した。

「細かい説明をしてる暇は無いわ。とにかく、あいつがこの敷地に入る前に私が出て行かないと・・・あの竜巻は自然現象じゃないの。私と玲於奈がいない所では発生しないのよ。力を持たない玲於奈はただの小学生と同じよ」

空は、武器が保管されているホテルの部屋の番号が印字された鍵を諒子に渡した。

「大型の擲弾発射器ならダメージを与えられるかもしれないけど・・・あいつは何かに護られていて簡単には殺せないと思うわ・・・あなたは、今のうちに山際の子供を連れ出して、出来るだけ遠くへ逃げて」

部屋を飛び出して行こうとする空を諒子が呼び止めた。

「一つだけ教えて、空・・・・あの子が一ノ瀬透子を殺そうとしている理由は・・・・『操影法』と何か関係があるの?」

「・・・・・・・・・・・・・」

空はドアの前で暫く黙っていたが、振り返って諒子の問いに答えた。

「あいつが透子を殺したら、次は『操影法』研究の最前線にいる城戸澄也・・・いや、安曇恭太郎の命を必ず狙うわ。玲於奈は操影法研究に関わっている人間を皆殺しにする為に日本へ戻ってきたのよ」

空の説明が終わらないうちに、大きな地鳴りが轟き渡り、その直後に壁にヒビが入るぐらいの縦揺れが発生した。

「・・・・何?・・・・・これは、余震!?」

諒子は東北で起きた地震の余震には慣れていたつもりだったが、崩れそうになっている壁を見て、さすがに身の危険を感じた。

「違うわ・・・・たぶん、玲於奈の仕業よ・・・・あいつが来たんだわ・・・・」

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「お兄ちゃん、見て!ホテルのお庭に大きな穴が開いて、トラックが落ちてくよ」

凛がテーブルの下から這い出て、ホテル7階の窓際から外を覗いていた。その様子を見つけた透子が慌てて義妹を抱き寄せた。

「危ない!凛、樹・・・・まだ風がおさまってないわ!伏せて!」

一瞬だが透子は、竜巻が作り出した巨大な穴を迂回するように敷地に入ってくる小さな人影を確認した。

再び突風が吹き荒れ、ホテルの上層階の窓ガラスにヒビが入った。脅えた幼い兄の樹が叫んだ。

「お姉ちゃん、悪い魔法使いが現れたの?」 「きゃあぁっ!!」

今度は横揺れの地震が発生し、篩に掛けるように兄妹たちは壁に叩きつけられた。幼い妹は頭を打って泣き出した。

「あの子に見つかったわ・・・私が食い止めるしかないようね・・・あなた達はこの部屋に隠れているのよ、絶対外に出ちゃダメよ!」

透子は泣いている兄妹たちの頭を優しく撫でて、廊下に飛び出して行った。

倒壊していくホテルの一部を満足そうに眺めていた玲於奈は、黄色のレインコートの人影が館内を移動している様子に気付いた。

「やっと、見つけたわ・・・・包帯だらけの可哀想な女の子・・・今度は逃がさないわよ」

玲於奈はクスクス笑いながら、ライフルを構えている山際グループが集まっているホテルのフロントへ侵入して行った。

 

Chapter26へつづく

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