Chapter11:「接点」

「ミスター園部、無駄足だったな・・・」

揉み上げに白髪の混じった中年の刑事が、車の後部座席に座っている体重140キロの巨漢の男に話しかけた。

イギリスの首都警察(MPS)の元・主任警部と日本人女性の間に生まれた園部真一は、殉職した父親の遺志を
継いで日本の警察官になり、3回目の昇任異動によって播磨署の捜査一係に赴任してきた男である。
園部は窃盗犯も追いかけられないぐらいの肥満体型で、カジュアルな風体の刑事だったが、今年になって彼が
「播磨山13遺体遺棄事件捜査本部」の本部長に任命された事に異論を挟む者はいなかった。

彼は巡査の頃から、迷宮入りしかかった怪事件を連続で解決した、という実績があった。特に前回の転勤前の
所轄だった栃木県で起きた「阿澄村一家惨殺事件」の犯人が逮捕された時は、民放テレビのドキュメント番組が
制作されるなど日本中に一大センセーションを巻き起こした。平成の犯罪史に残るであろう播磨山の陰惨な事件
も、彼の手にかかれば解決は時間の問題だ、とまで囁かれるようになった。

「寺田さん、収穫はあったよ。おそらく、あの春原透という男は何かを隠している・・・・」

園部が正十二面体のルービックキューブをカチャカチャ回す度に、腹部の圧迫された脂肪が小刻みに震えていた。
彼は、仕事中でもこの玩具を片時も手放す事は無かった。当初は間食防止の手持ち無沙汰から携帯していた物だっ
たが、最近では、これを回して無いと頭の回転も停止してしまうような錯覚に襲われた。

彼らはその日、春原の職場で、水沢玲於奈が起こした騒動について2回目の事情聴取を行っていた。その帰りの車
の中で、園部と共に今年から遺体遺棄事件の捜査に加わった少々ガラの悪い先輩刑事の寺田征郎が、バックミラー
越しに話しかけていた。

「俺の目から見ても、あいつらの目撃証言は不自然だ。若干10歳の子供が、病院に出入りしていた業者の車を盗み、
時速120キロで公道をぶっ飛ばした後に、T字路の側溝で横転。その後、車から這い出して、貯水池の橋梁から飛び
降り自殺未遂だと・・・・この話が本当なら、あの子はオツムの方も治療が必要だな・・・・」

「彼女は至ってノーマルな子供だよ。病院で見せてもらったカルテは改ざんされている。彼女の周囲にいる大人たち
が誰かを庇って口裏合わせをしているようだ・・・・・・・・妙なのは春原透も含めて、あからさまに嘘と分かるような証言
をしている事なんだ・・・まるで僕らを試しているかのような・・・・」

「ミスター、あんたの捜査方法にケチをつけるつもりは無いんだが、俺には今回の騒動と遺体遺棄事件の接点がよく
分からないんだ・・・あんたは、あの子がイギリスに留学していた頃の身辺調査までしているそうじゃないか・・・ホン
ボシのアタリはついているのか?」

園部は、完成したルービックキューブの目をバラバラな状態に戻し、溜息をついた。

「今のところ、全く分かりません・・・・今回の事件は一筋縄では行かないでしょう。どういう訳か警察内部にも、この事件
の捜査に圧力をかけている者がいます。前任の本部長・瓜生さんの事故死も怪しい。彼は、この地域を中心にして
事件に巻き込まれた児童にある共通点を見出してました。僕は彼の遺志を継いで、この事件を必ず解決に導きますよ」

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「アップルパイ、また焼きましょうか?」

稲森妙子は、春原の為に焼いたパイを、ハーフの巨漢の刑事が一人で平らげてしまった事に不満そうだった。

「いや、明日にしてくれ。あの刑事がまた来るって言ってたから・・・」

春原は職場の給湯室でコーヒーを入れながら、園部という刑事が残していった捜査資料のコピーを何度も見返していた。

セフィロト病院のアルバイトを解雇された妙子は、小椋出版で印刷前の版下制作をコンピュータで行うDTPオペレー
ターの仕事を手伝っていた。妙子は操作ソフトの飲み込みが早く、担当チーフに重宝がられていた。春原も、病院
での騒動が一段落すると、いつものように自分の仕事に戻っていた。

「その名簿みたいなもの・・・・」

台所で洗い物をしていた妙子が話しかけてきた。

「十全堂小学校の生徒の名前に◎印が付いているでしょう?・・・手書きの太い字で・・・・5年生の水沢玲於奈、森崎空、
篠日出子・・・他にも何人かいるようだけど、あの病院に入院していた子が多いのは偶然かしら・・・・・?」

「この印は前任の捜査本部長が書いたものらしい。つまり、これは今年のゴタゴタが起きる前に書かれたという事に
なる。あいつらの言っていることを鵜呑みには出来ないが、警察は本気で安曇恭太郎の犯罪を暴こうとしているのか
もしれない・・・」

妙子は、いつまでも考え事をしている春原を後にして、誰もいない談話室の中で台詞の練習を始めた。

彼女は、昼間は舞台の稽古、日が暮れてから編集部でアルバイトをしていた。小椋出版の仕事はノルマさえこなせ
ば勤務時間はフレックスタイム制なので、彼女にとっては都合が良かった。終電を過ぎた時間まで残業をした日は、
春原が車で自宅まで送ってくれた。夜は春原と残業をする事が多かったが、彼女に女性的な魅力が足りなかった
せいか、二人がそれ以上の関係になる事は無かった。夜中に仕事の手が空いた時は談話室で一人稽古をしても
良いというルールになっていた。

コーヒーを飲みながら春原は、談話室から子供と遊んだり、諭すような妙子の声を聞いていた。その話し方は、とて
も芝居とは思えないリアルなものだったが、彼はその時の異変を特に気に留めてはいなかった。

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翌日再び、食いしん坊の巨漢と堅気の職業に見えない仏頂面の刑事が、春原の事務所を訪れた。

「あなたに、見て欲しい物があるんです」

園部は談話室のソファーに腰を下ろすと、テーブルに置かれた焼き立てのパイには目もくれず、自分のリュックサックから
数十枚の書類と写真のカラーコピーを取り出した。テーブルに並べられたその資料は、全て森崎空に関するものだった。

春原は言葉に詰まった。森崎空は、影の研究をしている怪しい少女ではあったが、播磨山の遺体遺棄事件には一切関
わっていない。影の研究と遺棄事件の関係に気づいているのなら、森崎ではなく、自分に対して捜査の矛先が向けられ
るべきだ。

(この男は、安曇か山際のグループの仲間で、また森崎をターゲットにしているのだろうか?)

園部は、春原の怪訝な表情を見て、それを察したかのように作り笑顔で語り始めた。

「あなたは、よくご存知だと思いますが、森崎空は今年の1月29日に多摩地区にあるセフィロト病院のエントランスで交通
事故に遭ってます。ワゴン車が爆発炎上した、あの事故です。その際に彼女は、先日騒動を起こした水沢玲於奈に救出
されています。二人の関係については、理事長の長峰氏から伺いました。それで・・・ちょっと引っ掛かる点がありまして、
この子と親交のある春原さんからも事情を伺いたいと思いました」

「何度も説明した筈だが、彼女は殺人事件などに関与はしていない!・・・十全堂小学校の生徒と裏山の事件を無理やり
こじつけるのは、いい加減にしろ!!」

「いや、そうじゃないんです・・・落ち着いて下さい」

園部は空の写真を見つめながら、いつものようにルービックキューブを取り出して、カラカラと回し始めた。

春原は、この玩具を持っている刑事の子供っぽい仕草が嫌いだった。

「春原さん、私が現在進めているのは犯人探しじゃなくて・・・いわゆる外堀を埋める作業なんです。事件を解決する為には
パズルのピースが最低限揃っていないと先に進めません。後は、どれだけ短い期間でそれを完成させる事が出来るか・・・
そこがポイントなんです・・・・・・」

園部は正十二面体のルービックキューブの目を、1分間程度で揃えてしまった。

「僕もこの子たちは、去年の遺体遺棄事件の被疑者では無いと思ってます。この調査は言わば、捜査対象から外す為の
手続きなんです・・・森崎と水沢の関係について知っている事があれば、何でも良いので教えてもらえませんか?」

春原は園部の言っている事など信用していなかった。しばらく黙って様子を見ていたが、ようやくその重い口を開いた。

「・・・・・・彼女たちは幼馴染みで、5年ほど前に森崎の飼っていた犬を水沢が虐待したらしい。それ以来、不仲になって
いるそうだ・・・」

「それは、本人から聞いた話ですか?」

「いや・・・森崎が事故に遭った時に、看病に来た彼女の祖母から聞いたんだ・・・当時は息子夫婦と離れて暮らしていたので、
記憶が曖昧だと言ってたが・・・」

「その件に関しては、先日、水沢の母親から話を聞く事が出来ました。あの犬は、森崎ではなく水沢家が飼っていたペットだっ
たそうですよ。森崎も犬は大好きだったようですが、ある日、その犬が彼女の手を噛んだ。元々心の病気を患っていた水沢は、
それを見て逆上し、台所に置いてあったセラミック包丁で犬を刺したそうです・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「母親の話では、娘がおかしくなったのは、さらに幼い頃に起きた森崎家の事故がきっかけだったそうで・・・・」

「事故・・・・・?」

「森崎空の両親について、何かご存知でしょうか?」

「彼女が幼い頃に、JR中央線の踏切事故に遭って亡くなっている・・・・あれは線路に飛び出した娘を助けようとして起きた事故
じゃなかったのか?」

園部は、当時の事故に関する書類をテーブルに並べたが、溜息をついて資料写真のコピーを引っ込めた。

「妊娠していた母親の身体から胎児が飛び出して死亡した、という何とも痛ましい事故でした。父親も彼女を助けようとして事故
に巻き込まれた・・・娘の目の前で三つの生命が一辺に無くなったんです。森崎空の母親は、何故、踏切信号を無視して線路
内に立ち入ったのか・・・それは、この書類に詳しい記録が残ってました。線路に飛び出したのは、娘の空ではなくて・・・森崎
の家族と一緒に歩いていた4歳の水沢玲於奈だったんです」

「・・・・・・・・・!!」

「当時の救急隊員が、線路上で泣き叫ぶ水沢と、感情に蓋をしたように無言で立ち尽くしている森崎の姿を目撃しています」

春原は、資料写真の中にある森崎家の家族写真を見つめていた。そこには、これまで一度も見た事が無い幸せそうな笑顔を
浮かべた幼い頃の空の姿があった。

談話室の中ではしばらく沈黙が続いた。園部は帰り支度をしながら独り言のように呟いた。

「確証が無いので無責任な事は言えませんが・・・僕は、これらの忌まわしい事件が、この頃から始まっているような気がするんで
すよ・・・・いや、その原因となるものは、もっと前から存在していたのかもしれない・・・・遺体遺棄事件の被害児童の生前の行動、
日記、交友関係などを調べているうちに、ある共通する要素が浮かんで来たんです。しかも、その対象となる児童は前本部長が
残した◎印と符号している・・・これは、我々が唯一掴んでいる全ての事件に関する『接点』と言えるものなんです」

「何ですか?・・・・・それは・・・・」

春原には、それが何であるか分かっていた。彼は、真相に踏み込んだ刑事の瞳孔を射抜くような鋭い眼差しを向けていた。

「実体の無い動物の『影』です。事件に巻き込まれた子供たちの多くが、この得体の知れない現象を目撃しているんです」

 

Chapter12へつづく

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