Chapter12:「13番目の遺体」

学校の階段の踊り場で、篠美月は同じクラスの永浜未知子に声をかけられた。

二人はしばらく神妙な面持ちで会話をしていたが、森崎空の姿を見かけた未知子は、彼女を避けるように目を
伏せながら、その場を去ってしまった。

永浜未知子は、空がクラス全員に「臭い」「汚い」「ブス」というレッテルを貼られいじめ行為を受けていた4年生の頃
に、唯一庇ってくれたクラス委員の優等生だった。しかし、空は未知子の行為が、クラスの男子の気を引くための彼
女特有のパフォーマンスであることをよく知っていた。空は彼女の偽りの親切を無視し続けて、クラスの嫌がらせに
正面から付き合う事にした。

「いじめ」というものはターゲットになった当人がダメージを受けていなければ成立しない、と空は自分に言い聞か
せていた。暴力を受けたり、自分の教科書がトイレの便器の中で発見された時も涙一つ見せなかった。やがて、
その物事に動じない性格がいじめのリーダー格の生徒から称賛されるようになり、自然に空に対するいじめ行為
は無くなった。

5年生になると、優等生の未知子がいじめのスケープゴートになっていた。特に彼女が6年生の人気者の男子・三井
悠という付き合っている噂が流れてからは、高学年女子のいじめがエスカレートしていった。担任教師がそれに気づ
き、いじめは沈静化したが、彼女の性格は以前のような明るさを失って、影のようにコソコソ行動するようになっていた。

「三井悠が行方不明・・・・?」

「最近、警察で取り調べを受けたらしいのよ・・・何かあったのかしら・・・・・」

6年生の三井悠は、ギリシャ神話に出てきそうな彫りの深い色白の美少年で下級生にも人気があった。正義感が強く、
未知子と付き合うようになったのも、彼女へのいじめを見過ごせなかった事がきっかけになっていた。未知子にとっても
彼は単なるボーイフレンドではなく「砦」のような存在だった。その砦が無くなって、未知子は脅えながら学校生活を過
ごしていた。

行方不明という話を聞いて、空は日出子の事を思い出していたが、敢えてそれは口に出さなかった。空も美月も日出
子の捜索を諦めていたわけではなかった。しかし、春原から「安曇恭太郎の犯罪に本腰を入れて捜査を始めた刑事が
現れたので、下手に動かないで欲しい」と釘を刺されていた。日出子の件で負傷した玲於奈も退院後は暫く自宅で静
養する事になった。三井悠の事件は、空が再び学校へ登校するようになった頃に起きたのである。

****************************************************************************************************

「13番目の被害者の親族が十全堂小学校の生徒の中にいるって話は本当ですか?」

園部真一は播磨遺体遺棄事件の捜査資料室のドアを開けながら、山積みの資料に囲まれて一服している先輩刑事
の寺田に向かって言った。

「ああ・・・・消されたパソコンのデータが一部復旧したんだ。これで、瓜生さんの残した捜査資料が閲覧出来る」

「被害児童の保護者の聴取では、そんな話は出てなかったと思いますが・・・親族というのは一体誰なんですか?」

「5-Aの永浜未知子だ。13番目の被害者・赤羽浩太(享年8歳)の義理の姉にあたる・・・瓜生メモにも◎印が付いて
たな・・・・被害少年の母親・赤羽志津子は娘の未知子が3歳の頃に、国際経営コンサルタントを営む実業家の永浜
慶一氏と離婚。原因は志津子の浮気だ。彼女は、その相手である自動車修理工の赤羽智則と再婚し、その時に生
まれたのが息子の浩太だ・・・・」

「要するに、母親が同じ人物なんですね?」

「ミスター、あんたの読み通りになってきたぞ。この13番目の事件は別件の匂いがする・・・被害者の死因が本当は
溺死だったと聞かされた時は開いた口が塞がらなかったよ。この事件の調書を書き替えた奴が署内にいるって事だ」

園部は片手でルービックキューブをカラカラ回しながら寺田のノートパソコンを凝視していた。

「ニセの情報が含まれている事を差し引いても、この13番目の事件と他の誘拐事件は別人による犯行の可能性が高い
ですね」

「死体が遺棄された場所と発見された時刻は、他の12体と一緒なんだぞ・・・そんな偶然あり得るのか?」

「勿論、偶然なんかじゃありませんよ・・・・おそらく、これらの事件は殺害した実行犯と遺棄した人間が、それぞれ別人な
んだ・・・僕らは『13』という数字に意図的な理由が含まれていると思い込んでましたが、この数字こそが偶然なんです。
最初に遺棄された死体の数は12体だった・・・それから発見される時刻までの間に、最後の1体が追加されたんです」

********************************************************************************************************

「あなた、三井君と友達だったの?」

美月は、腕組みをしながら何かを思い出そうとしている空に訊ねた。

「公園で何度かあっただけよ。あいつはカラスの屍骸から内蔵を取り出す作業を手伝ってくれたわ」

「嘘でしょう?・・・美肌王子の『ユウ様』と呼ばれている三井君が、何であなたのグロい実験を手伝ってるのよ?」

「さあ?・・・でも、死んだあいつの父親がアメリカのハーバード大卒の生物学者だったらしいわ・・・ピンセットとメスの使
い方が私より巧かった・・・『助手にしてあげる』と言ったら、あいつ笑ってたわ」

空はショルダーバックからはみ出している、錆びた「バール」を取り出した。

「これ、あいつから預かってるのよ。・・・腐食の進んでいる動物の死体を解体する時に便利だって・・・確かに、これを使うようになってから『非生体分影』の成功率が上がったわ」

「それって・・・・・三井君もあなたと同じような実験をしていたって事なの!?」

「生物の研究をしていたのは父親の方よ、彼はそれを手伝ってただけ・・・それに、このバールはあいつが使っていた物じゃないわ」

突然、二人の後ろで車のクラクションが鳴った。ジムニーの運転席から見慣れた不精ひげの中年男が顔を出した。

「よう!・・・お前ら、またろくでもない計画を立ててないだろうな・・・・ちゃんと、毎日学校へ通ってるのか?」

春原の声に驚いて、美月は空の背後に身を隠した。空は、最近になって当たり前のように車の助手席に稲森妙子が座っている事が気に入らなかった。

「あんたこそ、日出子の居場所を早くつきとめてよ。彼女が遺体で見つかるような事があったら只じゃ済まないわよ」

空は持っていたバールで車のフロントガラスをバンバンと叩いた。大袈裟に悲鳴を上げた妙子を見かねて春原がブレーキをかけた。

「やめろ、馬鹿っ・・・俺の愛車になんて事を・・・」

春原がエンジンを切って、運転席から飛び出した頃には、二人の小学生は次の交差点まで全力で逃走し、左右に分か
れていった。春原は頭を掻いてその様子を眺めていた。妙子が助手席から顔を出して春原に訊ねた。

「森崎さんと一緒にいたあの子・・・・セフィロト病院から連れ去られた篠日出子じゃないわよね?」

「ああ、双子の姉の『美月』だ・・・水沢玲於奈の見舞いに来た事があっただろう?」

「私の目の錯覚かしら・・・お姉さんの方にも影が無かったように見えたわ・・・・」

「!?・・・・・・・・・」

「どうしたの?春原さん・・・・・・」

妙子は、車の座席に戻った春原の険しい表情を見て、それが思った以上に深刻な事態である事を理解した。

「まさか・・・・・・あいつら・・・・・・」

********************************************************************************************************

中央線の踏切を跨ぐ様にして、大人の遊戯場が立ち並ぶ繁華街に小学生の永浜未知子を見かけたという情報を入手した寺田征郎は、見通しの良い喫茶店の窓際に陣取って張り込んでいた。寺田は年齢の割りに、いつも派手な柄のシャツに金のネックレスやブレスレッドを身に付けていたので特に変装をしなくても下町のチンピラに見えた。ハーフの巨漢の園部は人目に付きやすい。聞き込みや尾行などはベテラン刑事の寺田が単独で行う事が多かった。

夕方になって、永浜未知子が40代後半の中年男に連れられて、喫茶店の中に入ってきた。永浜は背が高く、私服姿は小学生に見えなかった。寺田はさりげなくカウンターへ移動し、二人の様子を観察することにした。その少女の肩を抱くようにして話している中年男に見覚えがあった。公安調査庁の山際健司だ。山際は露骨に小学生の胸部や太腿を触っていた。二人の会話を聴き取る事は出来なかったが、オーダーもせずに足早に店を出て行ったので寺田もすぐにその後を追った。

慌てて店の外へ飛び出したので、寺田は黒いパーカーのフードを目深に被った少年とぶつかりそうになった。外はすっかり暗くなっていたが、永浜と山際を見失う事は無かった。二人が向かって行ったのは、風俗店やラブホテルが立ち並ぶ界隈だった。寺田が車道を横切ろうとした瞬間、通り過ぎる車のヘッドライトに照らされて一人の少女のシルエットが鋭利な凶器を振りかざして前方の二人に襲いかかろうとする姿が見えた。

「こらっ、何をやってるんだ!」

寺田は少女の手首を掴んで、持っているアイスピックを叩き落とした。

「放せ!・・・放してよ!・・・・あの男が・・・・私の妹を殺したのよ!!」

美月の叫び声に、永浜と山際が足を止めて振り向いた。寺田は美月を片手でねじ伏せながら、二人に近づいて行った。

「あんた、公安の山際だろ?・・・その子を何処に連れて行くつもりだ?」

「お久しぶりです、寺田さん・・・『夜回り』補導パトロールですか?・・・・ご苦労様です・・・私も、この不良少女を自宅へ送り返そうとしていたところですよ」

山際が、分が悪そうに後ずさりし、その場から逃げ出そうとした。

その瞬間だった。

「美月ーーーーーっ!!」

繁華街の路地裏から、森崎空の叫び声がこだました。

「三井悠を見つけたわ!・・・・今、この通りに現れた筈よ!」

「三井君が?」 「ユウ君・・・・・!?」

美月と未知子が後ろを振り向いた頃に、中央線の踏切警報音が鳴り出していた。

「あいつよ!」

空は遮断機が降りた線路の中央に立っている黒いパーカーの人影を指差した。

空は走りながら、自分の方向に逃げてくる山際健司に、すれ違いざまにローキックを入れた。顔から転んで差し歯が抜けた山際はヤクザのような捨て台詞を吐いて去って行った。

「危ない!」 「自殺か?」 「電車が来るぞ!」

踏切の近くにいたピザの宅配業者の青年が踏切の非常停止ボタンを押した。耳慣れない警告音が響き、それを聞いた空が寺田と美月の目の前で急に足を止めた。未知子だけが踏切に向かって走り出したが、寺田は電車のけたたましい警笛音を聞いて「遅い」と呟いた。

寺田は若い頃に地方の鉄道警察隊に従事していた事があった。踏切の非常停止ボタンを押しても電車は自動的に停止するわけではない。運転士が緊急停止信号に気付いてブレーキをかけ完全に停止するまでに4〜500メートルは進んでしまうのだ。

三井悠は電車に轢かれる寸前に、未知子に何か話しかけていた。そして、最後に笑顔を見せた。

「いやあぁぁぁぁ!!」

未知子は悲鳴を上げて踏切の中に入ろうとしたが、周りの大人たちがそれを引き止めた。彼女の目の前から少年の姿が消え、電車の銀色の車体が視界を遮った。電車はようやく減速して少年の引き裂かれた肉体を巻き込んだまま停止した。頭部は粉砕し、電車の下に見える黒いパーカーからあり得ない方向に脚が突き出していた。

狂ったように泣き叫ぶ未知子の後姿を見て森崎空は幼い頃の記憶を思い出していた。

「おい、大丈夫か?」

震えている空は寺田の方に振り向いて「うん」と頷いたが、すぐに白目を剥いて失神してしまった。

園部が最も注目している参考人の少女が突然現れ、目の前で一人の少年が自ら命を絶ってしまった。寺田は気を失っている空を抱き上げながら、今回の事件はさらに不吉な出来事が起きる前兆のような気がしていた。

「何故、この子たちは、こんな風になっちまうんだ・・・・」

寺田の独り言を掻き消すように、踏切の警報音がいつまでも鳴り響いていた。

 

Chapter13へつづく

INDEXへ戻る