Chapter13:「面会」
播磨署の近くにある古い総合病院の喫煙室で、寺田刑事が捜査本部長の園部真一に少年・三井悠が自殺に至る 寺田が二本目の煙草に火を点けようとした時、若い警官が数人現れて、今回の事件の現場検証に立ち会って欲しい 男は自分が5年生の副担任である事を説明し、二人に向かって丁寧に頭を下げた。 「城戸先生・・・・?」 ベッドの中で意識を取り戻した空は、朦朧としながらも、かつては昏睡状態にまで陥り、回復の見込みが無いと言われ 「森崎、具合はどうだ?・・・あんな現場に居合わせて、かなりショックだったろう・・・・篠や永浜の姿が見えないが、彼女達は大丈夫なのか?」 「二人は播磨署に保護されている・・・未知子は三井と仲が良かったから、色々質問されていると思うけど・・・・」 「君には、まだお礼を言ってなかったな・・・あの消火器事故の時に応急処置が施されてなかったら、僕はかなり危な 「城戸先生は、何故私がここに運ばれた事が分かったの?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 城戸は暫く黙っていた。しかし、いつものように爽やかな笑顔を見せて、彼女の質問に答えた。 「それは簡単な事だよ。僕の研究チームのスタッフが常に君の行動を監視してるんだ。君はすばしっこいから、何度も 空が全く反応しないので、彼の言葉の意味を理解していないように見えた。あい変らず朦朧とした眼差しで、薄笑いを浮かべているので、城戸は念を押すように自分の正体を吐露した。 「君の探していた『安曇恭太郎』というのは僕の事なんだよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 空は、もう我慢出来ないと言わんばかりに腹部を押さえてケラケラと笑い出した。 「あの本・・・『影の構造』の翻訳者はあと何人いるの?・・・一体、この茶番はいつまで続くのよ?」 空は暫く笑い転げていたが、やがていつもの無愛想な表情になり、教師の顔をジロジロと睨んで言い放った。 「あの本は20年前に出版された本よ。当時の城戸先生が幼稚園を卒園して間もない頃よ。あなたは、あの難しい内容の本をその年齢で翻訳出来たの?」 城戸は、空の疑い深い性格にやれやれと肩を落とし、静かに頭を振った。 「僕は、あの忌まわしい本の翻訳はしていない。君は死没した著者の代わりに翻訳者の行方を探していたらしいけど、 「・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」 「著者のダイモス・キュリーというのは安曇記章のペンネームなんだ。アナグラム解析すれば「ADUMI KISYOU」の名が浮かんでくる。僕の偽名の『城戸澄也』も父親の名のアルファベットの文字列を変えただけなんだよ」 安曇の名を語る男は、自分の素性を説明しながら、小児病棟の壁に貼られた色褪せた切り絵を眺めていた。空はその隙を見て、ベッド脇の荷物棚に右手をそろそろと伸ばし、ショルダーバックからバールを取り出そうとした。 「やめるんだ、森崎・・・・下手に動くと、ケガをするのは君の方だ」 安曇はサプレッサー(減音器)付の拳銃「スターム・ルガーMkII」の銃口を空に向けていた。 「僕が今日ここに来た理由は、君を傷つけたり、誘拐するためじゃない・・・本当は『操影法』について聞きたい事が山のようにあるけど、春原透が仕事の出張先からUターンして、車でこちらに向かっている。セフィロトの長嶺も10分前に自宅を出たそうだ。長話をしている時間は無いんだ」 「・・・・・・あなたが本当の安曇恭太郎なら、私も聞きたい事があるわ・・・・・・」 安曇は頷くと拳銃を懐のホルスターにしまい、腕時計を見ながら話し始めた。 「僕の質問は一つだけだ。先週、篠日出子を保護しているラボに、姉の美月の「影」が現れたんだ。どういうつもりか分からないが、生体分影は被験者の同意を得て、完全に切り離す為に数時間はかかる。つまり、これは君達の確固とした決意の上で行われた事だ。僕が彼女の影を返さなければ、姉の美月は一ヶ月で死亡する」 「・・・・・・・・美月の影を日出子に移殖する事は可能なの?」 「人間で試した事は無いが、理論的には可能だ。延命措置が効いて、今のところ篠日出子の肉体の壊死は始まっていない。双子なので拒絶反応も少ないと思う。移殖をすれば彼女の生存率は確実に上がる筈だ・・・しかし、美月の方はどうするんだ。このまま治療もせずに放置すると、来週ぐらいから段階的に肉体の壊死が始まる。何故、こんな最悪の選択肢を選んだんだ・・・・僕は君がもっと頭の良い子だと思っていたよ・・・・」 「私が決めたわけじゃないわ・・・私は美月にはめられたのよ・・・こうなる事が分かっていれば生体分影なんかするわけがない・・・でも、もう無理よ。彼女は自分の影が戻ってきたら、日出子が助からないと判断して自殺していた。あなたが美月の影を捕まえたことで、ほんの少しだけど猶予が出来たわ」 「それじゃ本気なんだな・・・僕はあの影を妹の日出子に移殖する・・・しかし、これは100パーセント保証出来る事じゃない。今まで僕が殺してしまった子供たちと一緒なんだ・・・元々、僕は彼女を実験に利用する為に誘拐した・・・最初から生命の保証などをするつもりはない・・・それでもいいんだな?」 「・・・・・・・・私は何故、日出子が誘拐されたのか、今までずっと考えていたの・・・・・・城戸先生、あなたは日出子を殺す事は出来ないわ」 恭太郎は返す言葉が無かった。彼は、親しい人物にも、いつもポーカーフェイスで何を考えているか分からない素振りを見せていたが、この時ばかりは、心の中まで見透かされているような気分になった。 (森崎空・・・噂通りに一筋縄では行かない少女だ・・・・この子は一体、何者なんだ?) 廊下で話し声が聞こえてきたので、安曇は立ち上がり病室を立ち去ろうとした。 「待って、城戸先生・・・私の質問がまだ残っているわ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」 「あなたは水沢玲於奈をライフルで撃った・・・でも、結果的に彼女を殺せなかった・・・・・あれは急所が外れたの?・・・それともあえて外したの?」 安曇にとって、この質問は全く想定外だった。彼女は双子の少女の生命を守ろうとする一方で、別の少女に対しては激しい殺意を抱いている。彼は、空がセフィロトのICUで筋弛緩剤を使って水沢玲於奈の殺害を企てた一件を知っていた。しかし、その時の安曇は玲於奈が自分の研究にとって特に重要な存在とは思っていなかった。彼はためらう様 「勿論、わざと外したんだよ・・・当てる事も出来たが、その必要は無かった。僕の目的は人殺しじゃないんだ・・・・」 安曇が病室を出る時に、空の「良かった」と呟いた声が聞こえた。 ***************************************************************************************************** 廊下では、セフィロト病院の理事長の長嶺洋一が園部に挨拶していた。もう一人、頭の剥げ上がった老人がその横に立っていた。安曇は彼が総合病院の院長である事がすぐに分かった。長嶺がこの病院と古い付き合いがある事を知っていたからだ。 園部は二人の会話に調子を合わせていたが、長嶺が安曇を見つけて動揺している様子を見逃さなかった。 「や、やぁ・・・・十全堂小の井出先生も、森崎の事が心配でこちらにいらっしゃったんですか?」 安曇は軽く会釈すると、すれ違いざまに杖を蹴った。「うへぇ」とよろめいた長嶺を剥げ頭の院長が支えながら言った。 「井出じゃなくて、城戸ですよ。長嶺さん、私も最近、人の名前を忘れる事が多い・・・お互い歳には勝てませんなぁ」 二人の初老の男がヘラヘラ笑っている横で、園部はルービックキューブを回しながら、教師を名乗っていた男が去って 総合病院のエントランスでは、春原透が仁王立ちで安曇を待ち構えていた。 「遅いですよ、春原さん。僕が山際健司のような悪党だったら、彼女を殺していたかもしれない」 「ふん、お前は『操影法』を完成させたら、間違いなく森崎が邪魔になる・・・世間的には分別のある常識人を装っているが、お前が罪の無い子供たちを殺した大量殺人犯である事に変わりはないんだ」 「彼女・・・森崎空は、僕らの監視スタッフの目を盗んで、篠美月の影を切り離してしまった・・・あなたが過剰に反応す 「そんな事が出来る訳が無いだろう・・・お前も森崎も、いかれた実験に夢中になり過ぎて袋小路に入ったようだが、やるべき事は簡単だ。あの忌まわしい研究から全て手を引く事だ。記章先生はこの事態を予測していたんだ。今日も十全堂小の生徒が不可解な死に方をしている。彼の父親は山際の研究チームに所属していた三井孝彦だ。篠日出子の影に火を点けた実行犯に付き添って、何者かにガソリンを浴びせられ焼死した研究スタッフだ。この研究に纏わる過去の怪死事件の事例は、お前が一番よく把握しているだろう?」 「『操影法の呪い』説ですか・・・春原さんが、そんな疑似科学でも説明がつかないような迷信を本気にするタイプだとは思って無かったけど・・・・おそらく、あなたが『影の構造』を編集していた頃に犯した過ちが影響しているんでしょうね」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「確かに、この研究が行われた周辺で多くの怪死事件が起きてます。でも、その原因に科学的な説明がつかない物は、一つもありません。「影を操る」などと言う魔法のような研究を成功させようとしている僕としては、霊的存在を肯定的に捉えてみたいという好奇心はありますが、死亡した人間の恨みの感情による『怨霊』などは存在しないんです。そもそも存在しない物の意思のエネルギーが生きている人間のエネルギーに勝ると言う理論が成立しない。その三井の息子の自殺にも、父親の死とは関係ない明確な動機がある筈だ」 「俺は、お前が近い将来に凄惨な死に方をすると思っているよ・・・・例え、何かの力でお前が守られているとしても、操影法が完成したら、俺の手で必ずお前を殺してやる」 「『守られている?』・・・・なるほど、そういう呪術の解釈も可能ですね。僕もあなたも長い期間、操影法に関わっているのに、これと言った災厄に見舞われていない。この呪いが本当なら、悪い人間ほど守られているという事になりますね」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「僕は自分の生命が惜しいなどと思った事はありません。人間はいずれ必ず死にます。早く亡くなれば不幸で、長生きすれば幸福なんて決まりは無いんだ。操影法の完成こそが僕の人生の終着点なんです。その為なら手段を選ぶつもりは無い。もし・・・本気で操影法の完成を阻止したいなら、今すぐここで僕を殺して下さい」 春原はコートの袖に隠している絞殺用のワイヤーを引き出した。彼は素早い動きで安曇の腹部を蹴り、よろめいた隙に背後に回り、その首にワイヤーを巻き付けた。しかし、首を絞めても一向に抵抗する様子を見せない安曇のとどめを刺す事はどうしても出来なかった。 「・・・・お前を殺しても、いずれは森崎空が操影法を完成させるだろう・・・・・俺は、彼女を殺す事は出来ない・・・」 春原がワイヤーを緩めると、安曇はその場に倒れ、何度か咳き込んでから、ゆっくり立ち上がった。 冬の空に粉雪が宙を舞っていた。東京で初雪が観測されたのは、その日の夜の事だった。 安曇は曲がったネクタイを直し、地面に膝を着いて、うな垂れている春原に背を向けて歩きだした。 「結局のところ、人間はそれぞれ自分の都合の良い解釈で生きているんですよ。勿論、僕は自分の犯罪を正当化するつもりはありません。あなたの正義も主観的で社会正義にはほど遠い。忘れないで下さい、あなたは過去に『死体遺棄』と言う立派な犯罪を犯しているんです・・・・それだけじゃない・・・20年前にあなたが犯した罪を僕は決して忘れない・・・・・」 春原はようやく頭を上げたが、ふらふらと去っていく安曇に何も語りかける事が出来なかった。 「森崎空だけじゃない・・・春原さん、あなたは僕を殺す事も絶対出来ない・・・元々、僕の罪に対して偉そうな事が言える立場の人間じゃ無いんだ・・・・」
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