Chapter16:「メッセージ」

「寺田さん、遅いですよ」

播磨市芸術文化会館の駐車場から小走りで現れた寺田に向かって園部が文句を言った。

「いやぁ、すまん、すまん・・・娘を川崎のセンター試験会場まで送って行った帰りに渋滞に巻き込まれたんだ」

「こんなに雪が降ってくるとは思わなかった・・・危うく風邪をひきそうになりましたよ」

寺田は、冬でも職場ではTシャツ一枚で過ごしている園田をちらりと見て「ふふん」と鼻で笑った。

園部は両手に息を吹きかけ、懐から手帳を取り出して何かを確認し始めた。

「そう言えば、前任の瓜生さんのパソコンにパスワードを入れないと開かない圧縮フォルダがあるんですよ。あれは何なんですか?」

「ああ・・・あのデスクトップの中央に置かれていた不自然なフォルダか・・・・あのパスは簡単に割り出せたよ・・・・八桁の数字で『11111112』だ。でも、あのフォルダは開いても無駄だぞ」

「どうしてですか?」

「中身が空なんだ。誰かが中身を削除したのか、最初から何も無かったのか・・・復旧したデータが限定的だから、今となっては確かめようが無い・・・・俺もあのフォルダが気になって一番最初に調べたんだが・・・・」

二人の刑事は、展示会の受付を済ませて、1階の創作・展示室に入っていった。この建物は2階がコンサートホール、1階が美術品などのギャラリーになっていて、その日は「柳原龍之介」という著名な画家が、自分の作品と十全堂小学校の作品の展示会を開いていた。彼は、十全堂小の美術教師と同じ大学を卒業した友人で、小学校の授業にも度々ゲストとして招かれていた。今回の展示会は、彼のレクチャーを受けた生徒全員の発表会も兼ねていた。

二人は行列が出来ている柳原の作品の展示ルームを素通りして、奥にある生徒の作品が一望出来る特設ホールへ向かった。

「自殺した三井悠が描いた絵が展示してあるのはここですか?」

「ああ・・・彼は、踏切で電車に轢かれる直前に、5年生の永浜未知子に『自分の描いた絵に全ての答えがある』と言ったそうだ・・・・」

寺田は、三井悠の絵に何らかの事件解明の手がかりになる物が描かれているだろう、と期待して展示会まで足を運んだが、喪章が飾られている実物を目の当たりにして、落胆の表情を隠せなかった。

「なんだ・・・ただの風景画じゃねぇか・・・・女房が好きな2時間サスペンスドラマのようには上手く事が運ばねぇなぁ・・・・」

「埼玉の秩父あたりでしょうか?このアングルだと後方に描かれている山は1000メートル以上・・・形状も「武甲山」に似てますね」

「夕陽の表現が素晴らしいでしょう?」

二人の会話に、若い男性の声が割って入った。

「あっ、柳原先生ですね・・・・先日はどうも・・・」

二人は、三井悠の通夜の席で柳原龍之介と知り合い、近日中に展示会を訪れる事を約束していた。

「おっしゃる通り、これは秩父の横瀬町の風景です。5年生の永浜未知子という女子生徒が同じ構図の絵を描いてます。彼女の親戚がこの辺に住んでいると言ってました」

園部と寺田は顔を見合わせて頷いた。この絵は播磨山遺体遺棄事件の13番目の被害者・赤羽浩太が住んでいた地域の風景だった。寺田はデジタルカメラを取り出して、三井と永浜の絵を撮り始めた。

「展示会終了後で結構ですので、この二つの絵をしばらく播磨署で預かっても良いでしょうか?」

「分かりました・・・これらの絵の管理は私が一任されているので、学校へは事後報告でも問題無いと思います。実は・・・・三井が出品する予定だった絵はこれだけじゃないんです。私としては、そちらの方が傑作だと思ったのですが、学校側からクレームが入りまして・・・」

「三井の絵が他にもあるんですか!?」

壁に貼り付くようにカメラで撮影していた寺田が驚いて振り向いた。

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展示室の備品が保管されている地下の倉庫に、「その絵」は丁寧に額縁に収められて置かれていた。その状態は柳原が本気で出品する予定だった事を物語っていた。二人の刑事は三井の絵が醸し出す禍々しい迫力に圧倒されて、思わず後ずさりしてしまった。

「これは・・・・・・・」

それは『大きな黒猫がへその緒が付いた血まみれの人間の胎児を咥えている絵』だった。黒猫は威嚇するような表情でこちらを睨んでるように見えた。

「あの柔らかい筆致の風景画と同じ人物が描いた物とは思えないでしょう?私は、この見る者に悪夢のような衝撃を与える絵をぜひ展示したい、と学校側に交渉したんですが、小学生らしい健全な内容では無い、と反対されて展示を見合わせる事になりました」

ようやく、気を取り直した園部がいつものように懐からルービックキューブを取り出してカラカラと回し始めた。

「柳原先生、この絵はいつ頃に描かれた物ですか?」

「去年の初夏の頃ですよ・・・学校の美術の授業で描いた作品です」

園部は胎児から流れ落ちている不自然な血の跡を目で追った。絵の右下の端まで延びている血痕は、署名のように七つの棒状の線と蛇行した曲線で描かれていた。

「寺田さん、この血の色で描かれた線・・・・数字に見えませんかね?」

「!?・・・・・1・1・1・1・1・1・1・2・・・・・・瓜生さんのパスワードと同じだな・・・・・これは、何か意味があるのか?・・・・」

「単純な数列ですからね・・・偶然もしれません。仮に関連があるとしても、三井少年が瓜生さんの圧縮フォルダのパスワードを知っていたとは思えない・・・この絵は半年以上も前に学校にあったんだ・・・・おそらく、瓜生さんが十全堂小の調査をしていた頃に、保管されていたこの絵を見たんでしょう」

あくまで仮説である、と断った上で園部は自分の考えを述べたが、彼は確信の無い推理を口にするタイプでは無い事を寺田はよく知っていた。

「確かに、当時の捜査官も、あの圧縮フォルダは瓜生さんが亡くなる前からデスクトップに置いてあったと言ってたな・・・・捜査データの重要なファイルは何者かの手によってフォルダごと削除されていた・・・・あのフォルダが残っていたという事は中身に消去すべき内容が無かったんだ・・・・・・ひょっとして、瓜生さんは、あの空のフォルダを意図的に作ったのか?」

「偶然や第三者による捜査の撹乱の可能性も否定出来ませんが、パスワードの数字そのものに意味があるのなら辻褄が合います・・・三井悠もこの絵に「全ての答えがある」と言っていた。亡くなった彼らは、我々にメッセージを残していたんですよ」

園部にとって犯人や証人が現世の存在であろうが無かろうが、そんな事はどうでも良かった。二度とこのような事件を繰り返させない為にあらゆる可能性を受け入れ、真相を突き止める事が自分の務めなのだ。

彼は奇妙な黒猫の絵を眺めながら、いつまでも正十二面体のキューブを回していた。

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ようやく正気に戻った妙子を車の助手席に乗せて、春原は砂塚町の団地へ向かっていた。

妙子は、あい変らず具合が悪そうだったが、病院へ立ち寄る事は頑なに拒んだ。彼女のチャネリングはラジオの周波数を合わせるように簡単に出来るものでは無いらしい。この機会を逃せば、円香は生前の行動パターンを繰り返すサイクルに戻ってしまう・・・円香の微弱な意思のエネルギーは、糸の切れた凧を追いかけるようなものだ、と妙子は説明したが、春原は内心、懐疑的だった。

死者の記憶が何らかの形で復元される事はあっても、20年前に肉体を失い、思考を掌る前頭葉さえ持たないエネルギー体が改めて意思を持つ事などあり得ない。「操影法」は、それを裏付けるような形で完成を目指した理論なのだ。妙子自身が幻覚を見ているか、何者かの手によってマインドコントロールされている可能性が高い。その原因を突き止める為に春原は、彼女の奇妙な行動に最後まで付き合う事にした。

「ごめんなさい・・・・私、勢いでとんでもない事を言っちゃったわ・・・・・・」

「いや、お前の言った通りだ・・・円香を殺したのは俺だ・・・俺は、あの子に祟られても仕方の無い人間なんだよ」

「でも、変ねぇ・・・あの子は誰も恨んでいないわ・・・・・むしろ、あなたを護り続けているような感じがするわ・・・・・それに今でも探し続けているのよ・・・・彼女と一緒に暮らしていた肉親の誰かを・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

砂塚町の都営団地に到着した二人は、廃屋となったある棟の敷地に入っていった。森崎空が住んでいる団地と言っても彼女の住んでいる棟は1キロメートル先にあるように思えた。低所得層に斡旋されたこのマンモス団地は、建て替えの計画が頓挫して全20棟の半分が廃屋になったまま放置されていた。

「この棟よ・・・ここの104号室に円香ちゃんの忘れ物がある筈よ・・・」

「忘れ物だって?」

高橋千絵子が住んでいたアパートは、播磨市より10キロほど離れている住宅地で、安曇家もこの団地に関わっている人物はいなかった。春原は、千絵子の家族が安曇の屋敷で暮らすようになって砂塚町を訪れたという話は聞いた事が無かった。

「何かの間違いじゃないのか・・・・?」

「きゃっ!」

妙子が半開きになっている104号室から、人間の大きさぐらいはありそうな大型犬が姿を現したので、驚いて春原に抱きついた。

「大丈夫だ、こいつは森崎が仔犬の頃から育てている雑種犬だ・・・・・こんな場所で飼っていたのか・・・」

その狼のような犬は、二人には関心が無さそうに大きな欠伸をして、スタスタと他の棟の植え込みをすり抜けて走り去っていった。春原は懐からペンライトを取り出して、暗闇の104号室に入っていった。

1DKの台所は生臭い匂いが立ち込めていた。玄関には空の物と思われる手製の釣り道具が並べてあった。春原は空がこの釣り道具とバケツを抱えて、多摩川へナマズやコイを釣りに行っている姿を見かけた事があった。彼女の話によると、あの犬は、残飯に焼いた魚を混ぜた餌を好んで食べていたらしい。

「ここよ・・・・・」

後から入ってきた妙子が、暗闇の中を迷うことも無く動いていた。そして、六畳の居間の中央に立ち、床の部分を指差した。春原は念の為に、注意深く周りを見回したが、家具類はほとんど無かった。中央の畳には、かなり時間が経って色褪せた血痕の跡が残っていた。その畳は僅かではあるが他の物より浮いていた。春原と妙子は二人がかりでその畳を床から剥がした。

露になった床面には床板が一枚も無く、縁の下が見えていた。中央の畳が落ちないように、申し訳程度に数枚の鉄板が敷かれていた。

春原は鉄板から下方に伸びているワイヤーにぶら下がるように繋がれている固形物を発見した。彼がゾッとしたのは、張力式の地雷のように、ワイヤーが信管(発火装置)のような物に伸びていた事を確認した時だった。

「何なんだ・・・これは・・・!?」

彼が慎重にペンライトでその構造を調べている最中に、妙子が無雑作に鉄板を外そうとしていた。

「やめろ!これは爆発物だ。鉄板を移動させると起爆する仕組みになっている」

「私が探しているのは、こんな物じゃないわ・・・」

妙子は、そう言いながら鉄板の隙間から右腕を滑り込ませ、床下を手探りで調べ始めた。

「おい、何やってるんだ、馬鹿な真似はよせっ・・・爆発するぞ!」

春原は妙子の肩を掴んで引き離そうとしたが、彼女はそれを無視して、さらに腕の位置を奥に進ませた。

「あった!」

彼女は掴んだ物がワイヤーに触れないようにそろそろと右腕を引き抜いた。彼女が手に持っていたのは、B6サイズの小さなスケッチブックだった。

「これは・・・・」

春原の手が震えた。それは、紛れも無く20年前に彼が円香に買い与えたスケッチブックだった。

妙子はスケッチブックを開いてみた。彼女もこのスケッチブックには見覚えがあった。どのページにも描かれているのは黒猫の絵で、あるページには(ミヅキタスケテ)(ココカラ出シテアゲヨウカ?)などの意味不明の言葉も書かれていた。

「これは、セフィロトで長嶺さんが入院させていた男の子が使っていた物よ・・・彼は、耳が聞こえない篠日出子と会う時に、必ずこのスケッチブックを持ってきていたわ」

春原は考えていた。安曇家の血筋を継ぐ最後の親族である萩人少年は、おそらく屋敷の物置で円香のスケッチブックを見つけたのだろう・・・・でも、何故それが、こんな場所に置かれているんだ・・・・

二人は、危険なトラップが仕掛けられている104号室を出て、表の外灯の下で改めてスケッチブックの中身を確認した。

「どのページをめくっても黒猫の絵ばかりだ・・・そう言えば、長嶺さんは萩人の告別式に、安曇家の庭でまた野良の黒猫が現れたと言って異常に脅えて逃げ回っていたな」

春原はその様子がとても滑稽だった事を話して、緊張状態が続くその場のムードを少しでも和ませようとしたが、トランス状態を保持している妙子はクスリとも笑わなかった。

「ん?・・・・・何だ、これは?」

スケッチブックの最後のページで、めくっていた春原の手が止まった。

そこには赤いクレヨンの文字で「11111112」と書かれていた。その八桁の数字を見て、妙子がようやく、ほっとしたように笑顔を見せた。

「これよ・・・・円香ちゃんが伝えようとしていたのは・・・・・この数字が『全ての答え』なのよ」

 

Chapter17へつづく

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