Chapter17:「暴走」


「玲於奈・・・手紙が届いてるわよ」

自分の部屋のベッドに座っていた玲於奈は母親から一通の手紙を受け取った。差出人は3日前に自殺した6年生の三井悠だった。

「ママ、今日の便でイギリスへ発つの?」

「ごめんね・・・仕事の都合で行ったり来たりで。パパはこっちで仕事を続けるから、何かあったら相談するのよ」

「分かった、私も明日から学校へ行くわ」

母親はいつものように娘を優しく抱擁して部屋を出て行った。彼女が階段を降りている時に、娘の部屋から甲高い笑い声が聞こえてきた。玲於奈の母は、娘が貯水池で被った外傷より、心の病の方が気がかりだった。日本に戻ってきて娘が以前より明るい表情を見せるようになったので安心していたが、娘の笑顔には生気が感じられなかった。何度抱擁してもするりとかわされて、いずれ遠くに行ってしまうような嫌な予感がしていたのだ。

玲於奈は三井悠の手紙を包帯をしていない右手でつまみ上げ、小さな卓上ライターで火を点けていた。しばらく炎が右手の指を焦がす様子を楽しんでいたが、刺すような痛みが走って燃えている便箋をテーブルの上に落とした。炎は玲於奈の指とテーブルの一部を少し焦がしただけで消えてしまった。

「チッ」

玲於奈は舌打ちをして、灰になった三井悠の手紙を屑かごに放り込んだ。

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その翌日の放課後、森崎空は6年生の児童会長の大石なつみに体育館へ呼び出されていた。

クラブ活動が無い小学校の体育館は放課後になると閑散としていた。体育の授業時以外にほとんど使用されないロッカールームは、一部の高学年女子グループの「秘密のお茶会」と称する溜まり場になっていた。下級生の間では「お茶会」というのは名ばかりで、児童会の幹部が素行の悪い生徒に制裁を加える場所だという噂が流れていた。

空はその部屋に入るように促されたが、頑として体育館の真ん中から動こうとしなかった。

「あなたのせいで三井君が事故に会ったって聞いているんだけど、それは本当なの?」

大石なつみは、児童会長だけではなく、ローティーン向けの人気ファッション雑誌の読者モデルとして知られているカリスマ小学生だった。彼女は他の女子生徒のように三井悠への個人的な関心は無かったが、他の生徒と同様に、同じクラスの男子が急死した事に衝撃を受けていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

稚拙な裁判ごっこのような児童会長の質問に、空は一切答えなかった。

「大石さんが聞いているのよ、返事ぐらいしなさいよ!」

5年生のいじめグループの女子生徒の一人が、空の肩を掴んで突き飛ばした。空は尻餅をついて仰向けに転倒した。倒した相手を睨みながら立ち上がろうとした時、彼女の視界に見覚えのあるパジャマ姿の少年の姿が入り込んできた。白昼堂々、唐突に現れた幽霊を目の当たりにして空は暫く動く事が出来なかった。少年の霊はフワフワ浮かびながら、体育館の上空をゆっくり旋回していた。我に返った空はある事に気付き、ショルダーバックからチョークを取り出して床に大きな円を描き始めた。

「何やっているの、この馬鹿・・・」

上級生たちが、空の唐突な行動を見てヘラヘラ笑いだしたが、大石なつみだけはその様子を苛立ちながら見ていた。彼女はその日、バレエ教室のレッスンの日だったが、森崎空をようやく呼び出せたという話を聞いて、習い事を休んでまでこの場に足を運んだのだ。彼女は空にからかわれているような気分になっていた。それに気付いたショートカットの男勝りな6年生が「シカトしてんじゃねえよ!」と叫んで、空を背中から蹴り飛ばした。空は、再び転倒し床に顔面を打って鼻血を流した。それでも彼女は円を描く事をやめなかった。

「影が・・・・とても危険な『影』が現れるわ・・・・この円の中に入るか、それが嫌なら早く体育館から逃げた方がいいわ」

円を描いている途中、空が突然咳き込みだし、吐血した。それを見て数人の6年生が悲鳴を上げた。

「キモッ!・・・・何なのこいつ・・・・『影』がどうしたって?・・・・それで、私たちを脅しているつもりなの!」

ショートカットの6年生が悪態をついたが、空の吐いたおびただしい血の量を見て明らかに動揺していた。

「ふふふ・・・・・」

その様子を2階のギャラリーから見下ろしている人影があった。

「あなたたち、本当に逃げた方がいいわよ・・・その子が言ってる事は脅しじゃないわ」

お茶会グループ全員が、まだ包帯が取れていないまま登校して来た水沢玲於奈の姿を確認した。玲於奈は6年生の間でも過去に自殺未遂を起こした問題児である事が知られていた。彼女を嫌っていた5年生が、最近起こした玲於奈のトラブルについて大石に耳打ちした。

「ちょっと!そんな所で見物してないで1階に下りて来なさいよ」

大石が玲於奈に呼びかけたが、彼女はそれを無視して薄笑いを浮かべながら空に話しかけた。

「みっともないわね、空・・・・・あなたは誰かに復讐する為に、ヘンテコな魔法の研究をしているんでしょう?・・・そんな調子だと、またつまらない怪我をして病院送りになるわよ」

空は立ち上がって血だらけの口元を制服の袖で拭いた。

「・・・・・何しに来たのよ・・・・・包帯だらけの頭のいかれた女に、そんな忠告されたくないわ」

「あなたと同じぐらい魔法に夢中になっていた6年生の三井悠に頼まれたから、わざわざ来てあげたわ・・・この連中にハッキリ言えばいいじゃない・・・・・彼は自殺した日に、本当はあなたを殺そうとしていたって事を」

1階にいる上級生たちが、ざわつき始めた。大石がその動きを「うるさい!」と制して、玲於奈に話しかけた。

「それって、どういう事?・・・この子が三井君を追いかけて踏切事故にあったんじゃないの?」

玲於奈は火傷で黒ずんだ右手で手摺に頬づえをつきながら、階下のカリスマ小学生の質問に答えた。

「彼はあなたたちが思ってるほど理性的な人間じゃないわ・・・去年、永浜未知子の弟の死体が裏山で見つかったでしょう?・・・あれは三井悠の仕業よ・・・・・彼が、あの子を殺したのよ」

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「赤羽浩太の母親が息子の殺害を認めたっていう話は本当か?」

寺田が、デスクに座って駅前のベーカリーで売っていた期間限定物のシュークリームを食べている園部に向かって言った。

「保険金目当ての犯行だったらしいですよ。夫の自動車修理工場が多額の負債を抱えていてヤミ金から借金し、返済に困っていたようです。息子に大口の生命保険が掛けられていました。動機になりそうな条件は揃っています」

「何だ?随分不満そうな顔をしてるな・・・これで13番目の遺体の事件は解決じゃないのか?」

園部は口元に付いたクリームをティッシュで拭きながら説明した。

「母親は播磨丘陵に息子の遺体を遺棄した理由について、かなり曖昧な供述をしています。それに、彼女は事件が起きる一ヶ月前に、前の亭主・実業家の永浜慶一に多額の借金を申し入れてます。工場の資金繰りに回しても十分お釣りが来るぐらいの額なんですよ。金融業者の借金はそれで完済してるんです。永浜は借金の返済に期限を設けてないので、あの頃の赤羽家が切羽詰って保険金の為に息子を殺すような動機があったとは思えません」

「それは、つまり・・・・・・ホンボシを庇って嘘の供述をしているって事か?」

「真相はよく分かりませんが、彼女が庇っているのは、おそらく娘の未知子でしょう。三井悠の自殺の影響で、何か我々に探られたくない理由があって先手を打ったんです・・・頭の良い三井少年もこの結果は予想出来ていた筈です。命懸けのリスクを背負ってまで行動しなければならない何か特別な事態が発生したんですよ・・・13番目の事件は、他の事件と関連性が無いと思いましたが、根幹となるものは一緒なのかもしれません。これはグズグズしてられないですね」

園部はコートを脇に抱えて、残りのシュークリームが入った箱を寺田に預けた。

「おい、何処へ行くんだ!?」

「十全堂小学校です。手遅れになる前に永浜未知子の身の安全を確保します」

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「未知子、出てきなさいよ・・・・一体、これはどういう事なの?」

大石に呼ばれて、永浜未知子がロッカールームから姿を現した。それを見た空が、突然呻き声を上げた。

「どうして、あなたがここにいるのよ!!」

それまで無表情だった空が取り乱した様子を見せたので、大石なつみは、ようやく退屈な尋問をしなくて済む、と満足そうな表情を浮かべた。

「私は三井君の事故死の真相が知りたいだけよ。現場にいた証人を呼ぶのは当たり前じゃない」

未知子は、あい変らず伏目がちにコソコソと体育館の隅に立ち止まっていたが、空の制服が血まみれになっている様子を見て、慌てて彼女の立っている場所へ駆けつけた。

「あなたたち・・・この子に何をしたのよ!」

「ちょっと突き飛ばしただけよ・・・転んだ時に打ち所が悪かったんじゃないの?」

ショートカットの上級生が悪びれずに答えた。未知子は2階にいる玲於奈に向かって叫んだ。

「三井君は誰も殺していない・・・あれは事故だったのよ。私の義弟のコウちゃんは、地元の不良中学生グループの使い走りだったの・・・彼らは、私が埼玉の母の家に時々遊びに来る事を知っていて・・・三井君がいない時に何度も付きまとわれたわ・・ある日、その中学生の一人がコウちゃんが大事に育てていた猫を取り上げて、私の裸の画像をカメラに収めてくるように命令したのよ。コウちゃんに泣いて頼まれたけど私は断ったわ。その数日後、猫の死体が見つかった・・・顔をライターで焼かれて酷い殺され方だったらしいわ」

上級生全員が未知子の話に聞き入っている最中に、空はチョークで黙々と円を描き続けた。

「その週末に、私が美術の宿題の風景画を描く為に横瀬川の桟橋に座っていたら、コウちゃんが自宅から工具のバールを持ち出して殴りかかってきたのよ。『お前のせいだ!』って言ってね・・・でも、その日は三井君も一緒だったので、近くの土手で同じ宿題の絵を描いていたのよ。すぐに三井君が割って入ってきてコウちゃんと揉み合いになったの・・・その時にコウちゃんが足を滑らせて川に落ちたのよ。前日の大雨で水嵩が増していたから、あっという間に下流に流されて行ったわ。三井君も川に飛び込んで探したけど、その日は見つからなかった・・・そして、数週間後に何故か、この学校の裏山で大勢の子供と一緒に遺体が見つかったの。その間に何があったのか分からないけど、私はお母さんと相談してコウちゃんが自分を襲った経緯は警察に言わなかったのよ・・・・」

未知子は訴えるように玲於奈に向かって言った。

「三井君は私を守ろうとしただけよ。彼がコウちゃんを殺したわけじゃないわ!」

大石なつみは、震えている未知子の肩を抱き、納得したように頷いた。そして、2階にいる玲於奈を睨みつけて言った。

「何が三井君の仕業よ。彼の行動は完全な正当防衛じゃない。この森崎も殺そうとした・・・なんて話も、とてもじゃないけど信じられないわ」

「信じようが信じまいがあなたたちの勝手よ。もっとも、あなたたちが空に手を出した時点で、そんな事を心配する必要も無くなったんだけど・・・・」

突然、玲於奈の長い髪の毛が逆立って、体育館全体が徐々に暗闇に包まれた。

上級生たちは、周辺が暗くなったのは天候の変化によるものだと思い込んでいたが、空だけはその原因が何であるのか分かっていた。体育館の外側に群がっていた動物の影が窓ガラスを突き破って次々に侵入してきた。一部のガラスの破片は細かい粉塵となってショートカットの6年生の目を潰した。突風のような勢いでなだれ込んできた影を見て、空は未知子を無理やりサークルの中へ引き摺り込んだ。それらの影は空がセフィロト病院の集中治療室で見たものと同じだった。

影は萩人の霊が浮遊していた空間を経由して、降下爆弾のようにサークルに入ってない上級生たちに襲いかかっていった。体育館の扉をこじ開けようと必死になっている6年生の影が、無数のカラスに食いちぎられていた。2階にいる玲於奈には、沢山の動物の影が一体の巨大なモンスターのシルエットを形成しているように見えた。

(三井悠・・・あなたの遺言通りだわ・・・この力があれば、空を殺す事が出来るかもしれない・・・)

影の集合体は、ほとんどの上級生の頭部の影を食いちぎり、空と未知子のいるサークルの周りを旋回していた。体育館の天井から少年の笑い声が聞こえ、玲於奈はそれに気づいて上空を見上げた。しかし、彼女には萩人の姿は見えなかった。その隙を見て、空が三井から預かっていたバールを玲於奈に向かってブーメランのような勢いで投げつけた。バールは玲於奈に届かず、手前の手摺りに当たっただけだったが、その衝撃で彼女は後ろに退いた。その動きに反応して邪悪な影の群れの勢いが止まり、霧が晴れるように消えかかった。

暗闇の中から上級生たちが倒れている様子が見え始めた。リーダーの大石なつみも頭部から出血して倒れていた。

「大石さん!」

空が目を離した隙に、未知子がサークルから飛び出して、大石の倒れている場所へ駆けつけた。

「未知子!円の外に出ちゃ駄目よ。まだ影が残ってる・・・・あいつらは、あなたを狙っていたのよ!」

空の叫び声を聞いた玲於奈は体勢を立て直して、再び髪の毛を炎のように逆立てて消えかけた影を呼び戻した。

上空に離散していた影が、次々に未知子に襲いかかって行った。彼女はその異常な風圧で身体が5メートルほど浮き上がり、激しく床に叩きつけられた。そのような現象が数回続き、やがて未知子の身体が動かなくなった。

「いやあぁぁぁぁ!!」

空が叫び声を上げた瞬間に上空にいる萩人の姿が消えて、沢山の動物の影は、入ってきた四方の窓から逃げるように飛び去って行った。空はチョークの円の中から慎重に這い出して、未知子の傍に駆け寄った。彼女はかろうじて生きていたが呼吸をするのも苦しそうな状態だった。

「空・・・私はあなたに謝らなければならないわ・・・・」

空は頭を振った。彼女は、動物の影の暴走が三井悠が仕組んだ「罠」だった事に気付いていた。

「あなたを殺さないと私が殺される・・・三井君の言ってた通りになったわ。でも、私は自分の代わりに誰かが犠牲になるなんて我慢できなかった。これで良かったと思ってるの・・・あれを見てよ・・・私たちを虐めていた連中の惨めな姿を・・・下級生の面倒見が良かった大石さんぐらいは助けてあげたかったけど・・・」

二人は周囲を見回した。上級生たちは目立った外傷は無かったが、よだれを垂らして手足を痙攣させている者や、四つん這いになって聞いた事も無いような童謡を歌っている者など、全員が何らかの精神的なダメージを受けていた。

空はその様子を呆然と眺めていたが、未知子の容態が気になってすぐに振り返った。

彼女は笑顔のまま目を閉じて、息を引き取っていた。

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「おい!・・・何が起きたんだ?・・・大丈夫か!?」

体育館の開かなくなった扉を複数の教職員がこじ開けていた。空と未知子がいる場所に真っ先に駆けつけたのは、まだ教職に復帰していない安曇恭太郎だった。

「城戸先生・・・!?」

安曇はチョークで描いた円の中で血だらけになっている空と未知子の死体を見て、思わず足を止めた。

「お前・・・まさか『操影法』を使ったのか?」

空は2階のギャラリーを見回したが、そこに玲於奈の姿は無かった。

「どうして・・・こんな現象が起きるのか、私には分からないわ・・・『操影法』は生きている動物の前頭葉を利用してリモートコントロールする技術だけど、ここに現れた影は全て死んだ動物の影だった。あれだけの数を人間の力で操るのは不可能よ」

「城戸先生!森崎と永浜は大丈夫ですか?・・・今、救急車を呼びましたので、他の子の応急処置もお願いします!」

安曇の代わりに赴任されてきた5年生の副担任の教師が、発狂して暴れている上級生を取り押さえていた。

「タイミングよく現れたわね・・・また、先生の仲間がコソコソと私の事を監視していたの?」

空の前で未知子の脈を測っていた安曇が険しい表情になった。

「馬鹿を言うな・・・学校の中にまでラボのスタッフを侵入させるのは無理だ・・・・僕も呼び出されたんだよ、三井孝彦の息子にね」

「三井孝彦・・・?」

「三井悠の父親だ。彼は『操影法』の開発プロジェクトに参加していたフリーの生物学者だった。不慮の事故で亡くなってしまったが、操影法のシステムを解明した研究レポートを残していたらしい。僕はそれを探しに彼の自宅へ行ったが、息子の三井悠が、関係書類を全て焼却処分して自殺してしまった。その成果を今日の午後に十全堂小学校の体育館で確認出来る、という主旨の手紙を残してね・・・その手紙は一時間前に受け取ったばかりだ。僕の居場所が特定出来なくて、手紙の到着が遅れてしまったようだ・・・おそらく、ここにいる6年生も三井のお膳立てで集められたんだろう・・・」

「しまった・・・一足遅かったか・・・・」

見覚えのある巨漢の刑事が姿を現し、未知子が担架で運ばれる様子を見て肩を落とした。

空は血に染まった制服の上着を脱ぎ、ショルダーバックからタオルを取り出して自分の吐いた血を拭き始めた。結果的に体育館の1階にいた生徒でダメージが少なかったのは空だけだった。彼女は救急隊が現れても「自分は大丈夫」と言い張り、玲於奈の言葉通りに何度も病院送りになる事を拒んだ。滑稽な体格の刑事の取り調べを受ける方がまだマシだと思った。空は停車している園部の車の中で矢継ぎ早に浴びせられる質問に上の空で答えながら、現場から早々に立ち去っていく安曇の姿を見送っていた。

(ようやく、分かったわ、城戸先生・・・・・・何故、三井悠が私を殺そうとしていたのか・・・・そして、彼が自殺しなければならなかった本当の理由もね・・・・・)

 

Chapter18へつづく

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