Chapter18:「車椅子」

安曇恭太郎はセフィロト病院の理事長室で、長嶺洋一がパソコンのモニターに映し出した子供の頭部の切開画像を食い入るように見つめていた。

「・・・・・・彼女たちは助かるんですか?」

「これを見たまえ、恭太郎君。被害に遭った児童の全身の影を撮影したものだ・・・」

様々な角度から撮影された子供の影の映像は、首から刃物で切り落としたように頭部が無くなっていた。

「影の一部だけが消失するなんて・・・・これが原因で彼女たちは『髄膜腫』を発症したと言うんですか?」

長嶺は他の画像ファイルを検索しながら話を続けた。

「私の左腕のように、影を失った人間は段階的に肉体の壊死が始まってしまうが、この子たちの髄膜は、ほぼ瞬間的に腫瘍化している・・・しかも8人同時にだ。幸い他の部位への転移は見られないから治療の余地はあるが、重い障害が残る子供もいるだろう・・・」

「死亡した児童の検案の結果は・・・・?」

「君も現場で目撃していると思うが、今回犠牲になった子供は2人だ。大石なつみが脳全体にダメージを受けて、ほぼ即死。奇妙なのは、もう1人の生徒、長浜未知子の死因だ・・・・彼女は頭部の影は残っていたのだが・・・・」

長嶺はモニターの画像を切り替えた。そこには真っ黒な胎児に似た形をした肉塊が映っていた。

「これは・・・・!?何ですか?」

「彼女の心臓だよ」

「・・・・・・・・・・・・・・!?」

安曇は動揺を隠せなかった。

「私は20年前に、これとよく似た奇形腫を見た事がある・・・・」

「それは・・・・僕の母親の事ですね?」

長嶺は、安曇の問いには答えず、モニターの電源をオフにして本題を切り出した。

「もう、そろそろ終わりにしないか・・・恭太郎君。私は記章先生と同じ過ちを繰り返そうとしている君をこれ以上、黙って見ている事は出来ない・・・君にとって『操影法』とは何なんだ?罪の無い子供たちを巻き込んでまで開発しなければならないものなのか?」

安曇は俯きながら、父親の亡き後、安曇家やセフィロト病院の面倒を見てくれている恩人の言葉に大人しく耳を傾けていたが、その口許は笑っていた。

「今回の事件に『操影法』が関係していると決まったわけじゃありませんよ。少なくとも僕は、この件には一切関与していない。あの森崎空も現れた影は人間の手でコントロール出来る物じゃない、と言っていた。『操影法』は生物兵器の開発のようにリスクを伴う面もありますが、扱い方の手順さえ間違えなければ安全なんです」

「安全!?・・・・今まで何人の犠牲者を出したと思ってるんだ!この研究に手を出した海外での失敗の事例は君が一番把握している筈だよ。最悪のケースはインド北部(ガンジス・ベルト)の地方都市で起きた事故だ。わすが数ヶ月の間に200万人以上の死亡者が出た。一つの都市が消えたんだよ・・・公式には感染性ウイルスによる惨事として処理されたが、発生源は『操影法』を開発していた研究所だったんだ」

安曇は、長嶺の言葉に関心が無さそうに、懐から英国製の煙草を取り出し、シルバーのデュポン・ライターで火を点けた。

「この研究に長嶺さんも途中まで参加していたんでしょう?・・・・あなたたちだって色々なリスクを承知の上で研究を続けていたんだ・・・『呪い』と噂されている過去の研究者の不審死だって、それを証明出来る物は何一つ残ってない・・・ご心配は無用です。僕は操影法で金儲けをしたり、犯罪に利用するつもりはありませんよ」

長嶺は椅子から立ち上がって、背中を向けて煙草を吹かしている安曇に頭を垂れた。

「頼む!恭太郎君・・・この研究から一切手を引いてくれ・・・・私が一番心配しているのは君の事なんだよ!」

「やめて下さいよ、長嶺さん。春原さんにも言いましたが、そんなに操影法の研究を阻止したければ、僕を殺せばいいんです・・・それで全て解決しますよ」

長嶺が安曇の手を握って、声を震わせて叫んだ。

「そんな事、出来るわけが無いだろう!・・・・出来ないと分かっていて・・・・私たちを試している君は卑怯だよ・・・」

その時、安曇は自分の手の静脈に注射針が刺さっている事に気付いた。

「くっ・・・・・卑怯だって・・・・こんなやり方は・・・・・お互い様じゃ・・・・ないですか・・・・」

彼は麻酔薬のチオペンタールを注入されて意識が無くなった。倒れそうになった安曇の身体を支えながら長嶺が呟いた。

「私は君を殺したりはしない・・・・しかし、野放しにしておくわけにも行かないんだ」

彼は急患搬送時に待機している院内の看護スタッフを内線で呼び出した。

数分後、廊下で怒号のような叫び声が上がり、バンパンと拳銃の発砲音が響いた。理事長室に入ってきたのは、セフィロトの看護スタッフではなく、防護マスク、防弾ベストで武装している男数人とそれを従えた女子大生風のカジュアルな服装の若い女だった。

その女は、長嶺に拳銃を向けながら、仲間の男たちに安曇を運ぶように指示し、床下に転がっているライターを拾った。

「しまった!・・・・それは発信機だったのか!?」

「安曇先生が煙草を吸わない事ぐらい知ってたでしょ?」

まだあどけなさが残る幼い顔立ちのその女は、安曇が無事に運び出された様子を確認し、不敵な笑みを浮かべながら、出口に向かって後ずさりを始めた。

「君たちは、自分のやっている事がどういう結果を招くのか、よく判って動いているのか?」

「あなたこそ、事の重大性がよく判ってないようね。山際健司の研究グループが『影の構造』のアナグラム解析に成功したらしいわ・・・・彼らが『操影法』の技術を手に入れたら、世界は破滅するわよ・・・まず、真っ先に私たちが殺されるでしょうけど」

長嶺は、その言葉を全く意に介さず、不自由な脚を摩りながら、ゆっくり椅子に腰を掛けた。

「心配するな・・・あいつらは肝心な暗号の意味が判ってない。『あれ』が無くては操影法は絶対に使えないんだ・・・」

「『あれ』って!?・・・あなたは『カドラプル』の本当の意味を知ってるの?」

自分の研究グループのリーダー・安曇恭太郎でさえ知り得ない操影法の秘密を、目の前に座っている初老の男が知っている・・・それとも、これは何かの罠だろうか?・・・彼女は「長嶺洋一は嘘が上手いから気をつけろ」と安曇に釘を刺されていた事を思い出していた。

「私は、この研究の権威と言われた安曇記章先生とは付き合いが一番長かったからね。『影の構造』の編集者である春原透君でさえ知らない操影法の秘密も沢山知ってるよ」

「あの薄気味悪い8桁の数字の意味も・・・・知ってるのね・・・?」

異様な静寂が続いた。彼女は長嶺に唆され、理事長室から逃げるタイミングを失っていた事に気付いた。いつの間にか病院のセキュリティ・スタッフが理事長室を包囲していた。彼女は、いくつか準備していた逃走経路を切り替え、理事長室の窓を抉じ開け、4階の窓から外に向かって勢いよく飛び降りた。

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播磨署の園部のデスクの脇で、森崎空は十二面体のルービックキューブと格闘していた。

「出来た!」

園部は、若い刑事が千葉のお土産で買ってきた「銚子電鉄のぬれ煎餅」を銜えながら、腕時計のストップウォッチを止めた。

「2分43秒・・・僕のギネス記録には、ほど遠いな・・・」

「もう一回、やらせてよ」

「・・・・・世界記録に挑戦しながらでいいけど・・・質問を続けてもいいかな?」

「知っている事なら、何でも答えるわよ」

車の中では呆然としていた空だったが、園部の目には、むきになってルービックキューブに夢中になっている彼女の姿は、何処にでもいる普通の小学生のように思えた。

「僕の勘違いかもしれないけど・・・・僕があの現場に到着した時に、君は体育館の2階のギャラリーを見回していたんだ。被害に遭った生徒以外に、誰かあの場所にいたのかな?」

空はキューブを回しながら、平然と嘘をついた。

「誰もいなかったわ・・・2階の窓ガラスが割れていたから驚いて見ていたのよ・・・・おっ、出来た!・・・今度は速かったわよ」

園部は慌てて、ぬれ煎餅に伸ばしていた手を引っ込めた。

「あ・・・ごめん。ストップウォッチを押すのを忘れていた・・・もう一回、測ろうか?」

空はムッとした表情になり、園部にキューブを投げつけてトイレに行ってしまった。

園部は空の言葉を真に受けてはいなかった。あの時、園部自身も体育館の2階に人の気配を感じていたからだ。

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十全堂小学校の体育館で事件が起きた日、春原透と稲森妙子は篠美月の自宅を訪れていた。

春原は、美月が学校で突然歩く事が出来なくなり、セフィロト病院に搬送された、と言う連絡を長嶺から受けていた。

美月は入院を勧められたが、彼女自身が頑なにそれを拒否し、週に2回通院するという約束で自宅で静養することが認められた。その理由の一つに、安曇が処方せんを出していた事も影響していた。国内でも有数の名医が揃っているセフィロト病院でも「影」が関係している病気に関しては、安曇の投薬処方以上の治療が出来る者はいなかった。

春原が玄関のインターホンのスイッチを押すと、美月自身がそれに応対した。

「どちら様ですか?」

「小椋出版の春原だ。ちょっと確認したい事があるんだ・・・お母さんはいないのか?」

「ママはお仕事よ。何の用なの?・・・空にあなたとは接触するなって言われているんだけど」

美月が面会を拒むのは、春原の想定通りだった。自分の意志で危険な分影法を実行してしまった彼女が、反対の立場にいる春原に会うのは、ばつが悪くて当然だ。

「俺は影の事で、お前を責めに来たわけじゃない。見てもらいたい物があるんだ・・・日出子が残していった物だ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

インターホンが切れて数分後に美月は、庭にある身障者用スロープを車椅子を使って現れた。それらは、かつて美月の母親が車で事故を起こして骨折した時に使っていたものだった。春原は地面に車椅子の影しか映ってない事を確認し、険しい表情になった。

「壊死しているのは足だけなのか?・・・他に具合の悪いところは無いか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

春原はノースリーブのワンピースを着ていた美月の腕に注目していた。美月の身体にはリストカットやレッグカットのような自傷行為の痕跡は見られなかった。空は美月が自傷行為に走るので影を切り離したと言っていたが、やはり嘘だったようだ。美月の分影は森崎空の発案である可能性が高い。彼女は美月を犠牲にして日出子を助けるつもりなのだろうか?

春原の考えを見透かしたように美月が口を開いた。

「空のせいじゃないわ。私が望んでやった事よ」

「細胞の壊死が第二段階に入ったら、取り返しがつかなくなるぞ・・・本当にセフィロトに入院しなくてもいいのか?」

「あんな病院に彼女を連れて行っても無駄よ」

春原と妙子は後ろに立っている人物に気付き、振り向いた。

「諒子さん!」

美月は笑顔でその女性を迎え入れた。

「ケアワーカー(介護福祉士)の城戸諒子さんよ。学校の元・副担任だった城戸先生の妹さんよ」

見覚えのある童顔の若い女の姿を見て、春原の形相が変わった。

「お前は・・・・・!?」

春原は、妙子を押し退けて、その女の腕を引っ張り、庭に面している車道へ出て行った。怪訝な表情をしている妙子に美月は話しかけた。

「あの二人、知り合いなの?」

「・・・・・・・・・さあ?」

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車道でしばらく言い争う声が聞こえてきたが、やがて結論が出たのか、再び春原が諒子の腕を引っ張って美月の前に戻って来た。美月が含み笑いをしながら言った。

「春原さんって、二股かけてたの?・・・・待ってる間、妙子さんがイライラして怒ってたわよ」

美月の冗談を真に受けた妙子が慌てながら否定した。

「そんな!?・・・何言ってるの、美月ちゃん。私と春原さんは、そういう関係じゃないのよ・・・・ねぇ、春原さん?」

春原は特に否定するわけでも無く、小脇に抱えていたビジネスバッグから、安曇円香のスケッチブックを取り出して美月に渡した。

「お前の妹がセフィロトで軟禁状態だった時に、このスケッチブックを使って会話していたんだ。最後のページに8桁の数字が書かれているだろう?それが彼女の筆跡なのか確認して欲しいんだ・・・」

「・・・・・・・・・・!?」

美月はスケッチブックをパラパラと捲り、しばらく眺めて、すぐに春原に突き返した。

「数字?・・・・何かの勘違いじゃないの?」

「何を言ってるんだ?・・・どのページにも日出子の字や落書きが描かれているだろう?」

春原は改めてスケッチブックを捲って驚き、目を見開いた。

「無い・・・・白紙だ・・・・あの数字や、黒猫の絵は何処へ行ったんだ?」

傍で見ていた妙子も驚きを隠せなかった。

「・・・・・・・・・・!!」

突然、妙子が頭を抱えてうずくまった。

「くっ・・・・・・痛い!・・・・痛い!・・・・何かが頭の中に・・・・・」

妙子の中に得体の知れない意識が入り込もうとしていた。何の予告も無く、他人の家に土足で上がって来るような霊にろくな者がいない。彼女はそれを身体から追い出そうとして必死に抵抗していた。

「どうしたの、大丈夫?・・・・」 

彼女の耳から、背中を擦る諒子の声が段々と遠のいて行った。

妙子は男性のような呻き声を上げ、諒子を突き飛ばして、車椅子で動けない美月の首に手をかけ、ギリギリと絞め始めた。

「未知子が死んだ!!・・・君たちが『バステトのルール』を破ったせいで未知子は死んだんだ!・・・篠美月、君の寿命は半年前に過ぎていた筈なのに・・・・何故まだ生きている!?」

「やめろ、稲森っ!!」 「何をしているのよ!!」

春原と諒子は二人がかりで、美月の首を絞めている妙子を引き離した。

美月は青い顔をして咳き込んでいたが、直感的に妙子の身に何が起きたのか理解していた。

「ゲホッ、ゲホッ・・・・・ハァハァ・・・・・三井君?・・・・あなたは三井悠でしょう?・・・・」

妙子は問いには答えず、再び呻き声を上げ、白目を剥いて失神してしまった。

「何なのよ、この人!」

諒子が興奮しながら春原に詰め寄った。美月は、春原が地面に落としたスケッチブックに黒猫の絵が浮かび上がってくる様子を凝視していた。

「・・・・・未知子の身に何か起きたんだわ」

美月はすぐに学校へ向かって駆け出して行きたかったが、その両足は全く動かなかった。

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「『バステトのルール』・・・・確かにそう言ったんだね?」

「私は影の研究には興味あるけど、霊とか霊能力の存在は信じてないわ・・・でも、あの子たちは信じている・・・一体、何が始まろうとしてるの?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「そろそろ『カドラプル』の意味について教えてよ!」

再び、セフィロト病院の理事長室に現れた諒子は、拳銃を向けながら長嶺を質問責めにしていた。

「私を脅かしても無駄だよ・・・その意味を知ったところで君は何も出来ない。何かが始まろうとしているわけでは無いんだ。これと同じような悲劇が気の遠くなるような昔から繰り返されて来たんだ・・・後は誰かが封印するだけの話なんだよ・・・」

「封印・・・!?」

いつの間にか諒子は拳銃を持った手を下ろしていた。

「操影法には、これ以上深く関わるんじゃない・・・そんな玩具で脅さなくても、幼い頃から、君の知りたい事は包み隠さす話してきたつもりだよ・・・諒子」

「・・・・・・分かったわよ・・・・お父さん」

長嶺諒子は懐に拳銃を仕舞い、理事長室から出て行こうとした。それを父親の洋一が呼び止めた。

「諒子・・・今夜も雪が降って冷えるそうだ・・・家に帰ったら、母さんに今日の夕飯は鍋料理が良い、と伝えてくれ」

どす黒い奇形腫の画像が映し出されているモニターに囲まれている父親の姿を見ながら、娘はフンと鼻を鳴らしてその部屋を出て行った。

 

 

Chapter19へつづく

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