Chapter21:「包帯」

播磨山公園の騒動の後に森崎空は姿を消した。

春原と妙子は、彼女が潜伏していそうな場所を虱潰しに探し回ったが、行方は見つからなかった。唯一知り得た情報は、砂塚
町の廃団地に仕掛けてあった爆薬と起爆装置が消えていた事だった。春原は、やむ得ず警察に捜索届けを出そうとして、空の祖母と連絡を取り合っていた。そんなある日、太平洋三陸沖で巨大地震が発生した。

関東地方でも一部の古い家屋が倒壊し、空の祖母は団地の階段を踏み外して、大腿骨を複雑骨折した。

セフィロト病院に搬送された空の祖母は、余震が続く状況の中、即日手術が行われた。幸い祖母の怪我は致命傷ではなく、継続的なリハビリによって元の生活に戻れる程度のものだった。

その夜、地震の影響で交通機関が麻痺し、帰宅困難者となった妙子を自宅へ送る為に春原は車を走らせていた。深夜0時を過ぎた頃、セフィロトの理事長の長嶺から、行方不明だった空が祖母の病室に現れたという電話連絡が入った。安堵した春原は妙子を送った後に病院へ向かうつもりだった。しかし、空が春原に会う事を頑なに拒んでいる、という話を聞いて、彼は病院に寄らず、出版社の事務所に戻る事にした。

気まずい思いをしていたのは空だけでは無かった。公園の騒動以来、春原自身も6年前の森崎家に不幸を招いたのは自分のせいではないか?と自責の念に駆られていた・・・・故・安曇記章の意志を継いで封印していた「操影法」が息子の恭太郎の手によって解かれてしまった。彼の行動を危険と知りながら、強引に阻止する事は出来なかった・・・それだけではない・・・・彼は、空が分影実験の被害者である事をよく知らずに、興味本位で、その呪われた技術の知識をレクチャーしてしまったのだ。

彼は悩んだ末に何かを思い立ち、翌日、新刊本の校正を早々に済ませて、成田空港から海外へ飛び立った。

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播磨山丘陵の怪現象は連日のようにTVのワイドショーを騒がせていたが、やがて世間の関心事は、地震の影響で原子力発電所から拡散する放射能の影響を伝えるニュースへ移っていった。水沢玲於奈は、空とは対称的に、園部から紹介されたソーシャルワーカーのケアを受けながら学校へ通い始めるようになっていた。

3月中旬の東京都内は、シベリア気団の南下によって冬の小雨が続いていた。

ある日の放課後、玲於奈は通学路の途中にある車線の多い国道を渡ろうとして、地下の横断歩道を歩いていた。この古い歩道は、変質者がよく出没するという理由から、最近になって歩道橋の建設工事が始まっていた。学校側は、暫くの間は路上の横断歩道を使用するように指導していたが、玲於奈はこの人通りが少ない地下通路を気に入っていた。

ところが、その日は彼女と同様に地下歩道を渡ってきた人影があった。玲於奈は黄色のレインコートを着た背の高い少女に呼び止められた。

「あなたは・・・水沢・・・玲於奈さんでしょう?」

振り向いた玲於奈は、レインコートの少女の顔面や手に包帯がグルグル巻きになっていたので、思わず声を上げそうになった。玲於奈も空に殴られた傷で頭に包帯を巻いていたが、目の前にいる人物は、イギリスのホラーハウスで見た事がある「mummy(ミイラ)」そのものだった。

「私は隣町の柏原小に通っている5年の『一ノ瀬透子』よ」

その少女の噂を玲於奈は美月から聞いた事があった。玲於奈が日本に戻る数ヶ月前に、柏原町で放火が多発し、ある古い木造アパートが全焼した。その家には、外国人労働者の七人家族が住んでいて、唯一助かった女の子が全身に大火傷を負い、ミイラのような姿で学校に通っている・・・・小学校で流行りがちな怪談まがいの噂だと思っていたが、彼女を目の当たりにして玲於奈はそれが本当の話だったと理解した。

包帯の隙間から日本人離れをした浅黒い肌と太い眉、大きな漆黒の瞳が見えていた。

彼女は大きな身体で、唐突に玲於奈に抱きついてきた。

「あなたを・・・・探してたの・・・渡したい物があるのよ」

家族以外の人間とあまり抱擁する習慣の無い玲於奈は、彼女の奇妙な行動に戸惑い、頬を紅潮させて突き飛ばした。

「馴れ馴れしく触らないでよ!」

透子は両手を合わせて頭を下げ、包帯で巻かれた右手で握手を求める仕草をした。その態度は、異様な容姿に似合わず、とても人懐っこい性格のように思えた。

しかし、それが間違いである事に玲於奈はすぐに気付かされた。握られた手からブスブスと煙が立ち上がり、二人の腕が黒い炎に包まれた。

「!?・・・・・腕が・・・・熱い!・・・痛い、痛い、離してよ!」

玲於奈は自分の腕の皮が裂け、焼け爛れていく様子に恐怖を感じていた。ただの炎では無いと思ったが、玲於奈はあまりの熱さに地下通路の排水溝に腕を突っ込み、雨水でかろうじて炎を鎮火させた。

「ごめんなさい・・・ここまで焼けるとは思わなかったわ」

透子はランドセルの中からポーチを取り出し、常備携帯している火傷の治療薬と包帯を取り出して玲於奈に近付いた。

玲於奈は、咄嗟に左手でサバイバルナイフを構え、包帯女に切りかかった。

「きゃあ!落ち着いて・・・・暴れないでよ・・・・・私の説明を聞いて・・・」

彼女の言葉を無視して、玲於奈は狂ったようにナイフを振り回した。

透子は悲鳴を上げ、地下通路の階段を駆け上がって行った。その出口には黒いレザージャケットの男が立っていたが、包帯女はその脇を器用にすり抜けて逃げて行った。安曇恭太郎にぶつかって転倒しそうになったのは玲於奈の方だった。

「水沢じゃないか!?・・・何をしてるんだ・・・・・!?・・・・おい、その傷はどうしたんだ?」

「あいつにやられた・・・先生!追いかけてよ!」

安曇が振り向いた時に、レインコートの少女は、駅ビル建設用の資材倉庫の方面に逃げ込んでいた。倉庫の通りは高いフェンスで仕切られていて、突き当たりは袋小路になっていた。それを知っている安曇と玲於奈は二手に分かれて、わざと包帯女が突き当たりに進むように追い詰めて行った。

袋小路に辿り着いても、彼女は慌てる様子は見られなかった。すぐに背を向け、高い身長を生かしてフェンスをよじ登り、その天辺を四つん這いで移動し、電柱に飛び移った。安曇は持っていたアタッシュケースから小型ライフル・アーマライトAR7の銃床を取り出し、数十秒で銃身や弾倉を組み立て、電柱に向かって銃口を向けた。

レインコートの少女はそれを察知し、電柱から驚異的な脚力でジャンプすると、倉庫の二階にある空調の室外機にぶら下がり、壁の排水管をフリークライミングのような要領で足場にして、屋根の上まで這い上がって行った。

「何だ?あれは・・・まるで、サルの化け物だな?」

銃を下ろしながら呆れて眺めている安曇を見て、玲於奈は悔しそうに包帯女が飛び越えたフェンスを蹴り上げた。

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「諒子・・・病院へは姿を現すな、といつも忠告してるだろう?」

「お父さんは、何でも包み隠さす話してくれるって言ってくれたわよね・・・・『バステト』って、一体何なのよ?・・・この忌々しい猫の名前なの?・・・もう変な暗号やアナグラムに振り回されるのウンザリよ・・・」

普段は穏やかな性格の長嶺洋一だが、その日は、娘が嫌がらせのように安曇家の黒猫を抱きかかえて、セフィロトの理事長室に入ってきたので、苛立ちを隠せなかった。

「そいつは、ただの野良猫だよ。春原君も黒猫と操影法の直接的な因果関係については懐疑的だ。ロシアのスプートニク2号に乗せられたライカ犬のように、古代エジプトで最初に影の実験に使用された動物が猫だったんだよ。おそらく、それに因んで猫の姿をした神話の人物の名が付けられたんだろう・・・『バステト』に関して、安曇君や山際、私の研究チームでも、それが具体的に何を示していのか皆目見当がついてない・・・但し、そのルールについては確かに存在するらしいが・・・・・」

「ルール?」

操影法が非常に危険なリスクを伴った技術である事は、お前もよく知ってるだろう?」

「使い方を誤れば、細菌兵器よりタチが悪いって話は、安曇先生から聞いてるわ・・・隠蔽されてるけど、数百万人が犠牲になったインド以外にも滅びかけた国家がいくつかあったようね」

「何故、それだけの犠牲者を出しながら、被害が世界中に拡散しないで収束したと思う?」

長嶺は病院の経営に関する書類から目を話さずに、娘に問い返した。

「それは・・・つまり、操影法の暴走を食い止める手段があるって事ね?」

「そう・・・それが『バステトのルール』と呼ばれているものだ。三井孝彦の息子が言っていた『ルールを破った』というのは、おそらく、それを発動させようとしたんだろう・・・だが、計画に何らかの誤算・歪みが出て、彼らは失敗したんだ・・・・場合によっては、不測の事態を覚悟しておいた方がいい」

「えっ!?それってどういう事?・・・既に暴走が始まっているの???・・・操影法はまだ誰も完成させてないのよ?」

「前にも言ったと思うが、これから何かが始まろうとしているわけでは無いんだ・・・この技術が生まれた時代から、世界各地で多くの犠牲者が出ている。今は沈静化しているが、記章先生は、操影法の封印はもはや不可能だと言っていた・・・地球上には存在しないと言われているダークマター(暗黒物質)が生成された、と言う論文を発表した学者もいるが、この力はもっと恣意的に人間を破滅の方向に向かわせている。その正体が何であれ、いずれにしろ、回収出来ない状況にある事は間違いない・・・・・過去にも、操影法の開発に失敗した者が「バステトのルール」を発動させた、という記録が残っているが、この方法も完璧ではない。拡散を防ぐ事は出来ても、一時的な応急処置に過ぎないんだよ」

「お前には黙っていたが、春原君も私も、恭太郎君の暴挙を指をくわえて見ていたわけじゃない。セフィロトにラボが残っているのは『バステトのルール』より効果のある対処法を見つける為なんだ・・・スタッフの中には絶望的だと判断した科学者もいるが、私は医者の性分もあって、末期患者にも出来る限りの治療は施すつもりなんだよ・・・・これ以上、症状を悪化させないようにする為にな・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「お前は、漠然とした社会不信から、未知の領域に踏み出そうとしている恭太郎君を崇めて、彼の研究を手伝っているようだが、私はどんな汚い手段を使ってでもそれを阻止するつもりだよ・・・記章先生や三井君が命懸けで守ろうとした物が何なのか、・・・何故、操影法に深く関わりながら、生かされている人間とそうでない人間がいるのか・・・・・・おそらく、我々は、このパズルのような理論を作り上げた者の手によって試されているんだよ」

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玲於奈は、安曇に連れられて学校へ引き返し、放課後の誰もいない保健室で傷の手当てを受けていた。

「とりあえず出血は止まった。すぐにセフィロト病院へ連れて行ってやるが、受付を通らずに4階の理事長室に直接行くんだ。理事長の長嶺洋一なら状況を詳しく説明しなくても治療を引き受けてくれる筈だ・・・一緒に付き添ってやりたいが、僕はついに、あの病院は出入り禁止になってしまった」

「・・・・先生、何故あいつをすぐに撃たなかったの?・・・私を撃った時の方が、もっと迅速で迷いが無かったわ」

野球のグローブぐらいにかさ張った右手を怪訝な目で見つめている玲於奈に向かって、安曇は苦笑しながら答えた。

「君は、あの貯水池で僕の姿を見ていたんだね・・・・あの件に関して、僕は謝るつもりは無いよ・・・君は、日出子に刃物を向けていたし、おそらく、僕をおびき出す為にわざとあんな小芝居を打ったんだ・・・・」

「姿を見られたんだから、私を殺す事だって出来た筈だわ」

安曇は、巻き終わった包帯を片付けながら含み笑いを浮かべていた。

「そういえば、森崎にも同じような質問をされた事があったな・・・あの子は、僕がわざと急所を外した、と言ったら安心した様子だった。本当は君の事を心配していたのかと思ったが、よくよく考えてみれば、君の命を奪おうとしている人間がそんな心配をするわけが無いんだ・・・どうやらあの子は、よほど自分の手で君を殺さないと気が済まないようだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「水沢・・・君は、イギリスで自殺未遂を何度も失敗したと聞いているが・・・実際は、自分で自分を殺す事も何かの力で阻まれているんじゃないのか?・・・・そう考えれば、君の不可解な行動も辻褄が合ってくる」

玲於奈は、安曇のその質問には答えずに雨水が溜まっている校庭を見つめていた。

「君は、どうやら転校してくる前から僕の素性を知っていたようだね。でも、たかだか小学生の子供が僕らの研究について掌握しているとは、どうしても思えない・・・君に協力している大人が必ずいる筈だ・・・一体、誰なんだ?」

廊下の人の気配に気付いて玲於奈が立ち上がった。安曇も電話で連絡した長嶺諒子が彼女を迎えに来たと思い込んでいた。しかし、保健室に入ってきたのは、安曇の仲間ではなくパジャマ姿の裸足の少年だった。

「・・・ようやく姿を現したわね・・・・・あなたがいれば、あのバケモノをやっつける事だって出来たのに・・・」

安曇は動揺して、持っていた包帯を落とした。その包帯は少年の足元まで転がっていった。

「そいつは何者なんだ?・・・亡くなった安曇家の甥の萩人にそっくりだが・・・???・・・本人なのか?」

少年はクスクス笑いながら、玲於奈の怪我をしてない方の手を握って保健室から連れ出した。安曇はそれを追って廊下に飛び出し、少年の背にライフルの銃口を向けて、彼女を呼び止めた。

「そんな事をしても無駄よ・・・この子は元々存在しないんだから・・・・」

「水沢・・・君の目的は何なんだ?・・・誰に頼まれて、日本へ戻ってきたんだ?」

玲於奈と少年は立ち止まり、銃身を構えている安曇恭太郎に向かって、ゆっくり振り向いた。

「終わらせるためよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」

「空との関係も含めて・・・・全てを終わらせるために、私は戻ってきたのよ」

安曇は二人の子供がその場から立ち去るまで引き金を引く事は出来なかった。それは、決して躊躇したわけではない・・・今回も彼女がそれを仕向けているように思えたからだ。

 

Chapter22へつづく

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