Chapter22:「拡がる闇」

「透子・・・こんな所にいたのか」

柏原町にあるタワーマンションの屋上庭園で、黒猫に餌を与えている一ノ瀬透子に、彼女の養父である山際健司が声をかけた。透子は、全身の包帯を隠すように、快晴の日も黄色のレインコートを着て過ごしていた。

地上100メートルを越える屋上に作られた人工庭園に、黒猫が現れ始めたのは年が明けて間もない頃だった・・・予測していたとはいえ、実際に現れると気持ちの悪いものだ、と山際は思った。彼は、透子がいない隙に庭園のエントランスに現れた猫を何匹も処分していた。しかし、何度殺しても黒猫は翌日になると姿を現した。安曇記章の屋敷にも同じような現象が起きて、代々の主人が自殺し、一家離散などの不幸が続いた。

しかし、誰もそれを猫のせいにする者はいなかった。現代文明において「黒猫の呪い」などという迷信を口に出しても嘲笑されるだけだ。ゴミ集積所に群がるカラスのように、この地域には野良猫が多い、とその存在を気に止める者はいなかった。山際が住んでいるタワーマンションの住民も一匹の迷い猫が屋上に棲みついたと思っているだけで、それぞれ好き勝手な名前を付けて可愛がっていた。47階の屋上に死んだ筈の野良猫が何度も現れることを知っていたのは山際だけだった。

「お前、十全堂小の水沢玲於奈に接触したという話を聞いたが、本当か?」

「うん・・・播磨町の図書館にしか置いてない本があって、それを借りに行った時にたまたま遭ったの・・・包帯だらけの私の姿にちょっと驚いたようだけど、一言も会話してないわ・・・・すれ違っただけよ」

「そうか・・・それなら問題無いが・・・お前はいつもそんな格好してるから虐められてないか、お義父さんは心配なんだよ・・・特にあの水沢という子は、街の中で小さな動物を見つけては虐待している頭のおかしい子なんだ・・・播磨町では子供の変死事件が続いているそうだ。あまり、あの町に近付くんじゃないぞ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「先生!・・・お客様が到着しました」

山際の秘書が走りながら、エレベーターホールから姿を現した。

「分かった・・・・すぐ行く。接待用のリムジンを出してくれ・・・今日はいつもと違うルートでラボに向かう」

山際は、義理の娘の頭を優しく撫で、屋上から出て行った。

透子は黒猫を抱きながら、庭園のテラスを通り抜け、分厚いガラス張りの防風フェンスをよじ登った。フェンスの上は猫一匹がギリギリ歩けるぐらいの幅しかなく、少しでも突風が吹けば地上へ墜落しそうな危険な場所だった。透子は猫と一緒にその場所に座り、ポケットから手紙のような数枚の紙片を取り出し、それを粉々に破いて宙に飛ばした。

夕陽が沈み、闇が空を包む薄暮の時刻になっても透子はフェンスの上で空を眺めていた。

「三井君・・・あなたの計画は間違ってなかったようね・・・必ず、私が『バステトのルール』を発動させるわ」

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播磨署の捜査一係の廊下で、稲森妙子と寺田刑事がすれ違った。寺田は、資料室で安曇家に関するデータをパソコンで整理している園部に話しかけた。

「春原透が海外に出張中らしいが、あのアルバイトの女の子に話を聞いても無駄じゃねえのか?」

園部は寺田が買ってきた中華饅頭に手を伸ばしながら、複数のデータファイルを一括プリントアウトした。

「いや、そうでも無いですよ。むしろ、彼女は状況がよく分かってないだけに、春原が気付いていない情報も提供してくれます・・・収穫もありましたよ。例えばこれです」

寺田の目の前に、安曇家に関する一枚のファイルが差し出された。

「これは・・・安曇萩人?・・・・最近、セフィロトで仏になった安曇記章の親族じゃないか・・・相続の問題とかで、去年、長嶺洋一が地方から連れてきた子だよな・・・この子の死因に不審な点でも見つかったか?」

「いいえ、その件に於いては、特に事件性はありません。それどころか、うーん・・・何と表現したらいいのか・・・彼は死んでないかもしれないんですよ」

寺田は飲みかけのほうじ茶を吹き出しそうになった。

「おい、ミスター・・・こんな真冬に悪い冗談はよしてくれ。死体検案書は確認済みだよな?」

「勿論、彼の死因に関する書類に矛盾点は見られないし、セフィロトの医師がカルテの改ざんをした形跡も見当たりません。でも、稲森妙子はあの公園の騒動の時にパジャマの格好をした安曇萩人を目撃してるんです」

「彼女の見間違いか、幻覚だろ?・・・それとも、春原が捜査を撹乱させる為に、何か仕込んでいるんじゃねえのか?」

「学校の体育館でも例の竜巻が発生して、上級生の永浜未知子と大石なつみが犠牲になりました。あの時に生き残って精神疾患を発症した児童の中に、『パジャマ姿の少年』を見たと言っていた子がいたそうです。あの現場に春原透はいませんでした」

「いずれにしても、胡散臭い話だな。公園と学校・・・あの現場の両方に居合わせた奴は・・・・」

「森崎空と水沢玲於奈の2人だけです・・・・寺田さん、これから聞き込みに出かけますよ」

園部はデスクの下から愛用のリュックを取り出し、着替えなどの荷物を詰め始めた。

「日本地図まで持ち出して・・・何処へ出かけるつもりだ、ミスター?」

「安曇萩人の本籍地・徳島県にある葛岳(カヅラダケ)村です。彼と安曇家の関係について洗い直す必要があります」

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渋谷のテナントビルにあるイタリアン&ワインバー「バックス」で、安曇恭太郎は高級ワインのブルネッロ・ディ・モンタルチーノを飲んでいた。そこへ、20代らしい可愛らしいワンピースにロングジャケット姿の長嶺諒子が現れた。

彼女は安曇がいるカウンターの隣りに座り、分厚い報告書を手渡した。本来の彼女なら、高級レストランでもデニムのジーンズ姿で現れるところなのだが、この店は、安曇の研究スタッフが都内の中継地点として利用している隠れ家のような場所だった。諒子には、研究所や日出子の軟禁場所は知らされていなかった。それは、安曇の側近のスタッフが彼女を春原のグループの二重スパイではないかと警戒している為で、彼女もそれは疑われても仕方が無い事だと了解していた。

恭太郎自身は諒子とは幼馴染なので、そのような猜疑心は無かったが、両者が共犯者として逮捕されないように、ある程度の距離を保つ事に同意していた。

「篠美月の病状が悪化してます。細胞の壊死が、もうすぐ第二段階に入るわ・・・先生は、彼女を救済する手段は森崎空に委ねるとおっしゃってたけど、彼女とは全く連絡が取れない・・・私は、どうすればいいの?」

「僕も森崎の行方を探しているけど、この町の生活圏内に彼女の痕跡が見当たらない。君の報告ではセフィロトに匿われている様子も無さそうだな・・・柏原町の山際のグループに拉致された可能性もあるが、現段階で彼女を奪取する為に、むやみに抗争を仕掛ける訳にはいかない・・・せめて、居場所だけでも特定出来れば、打つ手はあるんだが・・・・」

「山際・・・・・・確か、彼には実子2人と混血児の義娘がいましたよね・・・いつも黄色のレインコートを着た、包帯だらけの・・・」

安曇は、先週、追跡していたレインコートの少女がビルの資材倉庫の屋根まで這い上がって行った光景を思い出していた。

「『一ノ瀬透子』か・・・・・・彼女がどうかしたのか?」

「持参した報告書にも記載しましたが、美月を連れて行っている播磨町の図書館で山際の子供たちを時々見かけるんですよ。特にこちらを意識している様子も無いし、子供の事だから放っておいたんですが、美月が面白半分にそれを水沢玲於奈に携帯電話で話してしまったんです」

「!?・・・・・・・ちょっと待て、それはいつの話だ?」

「昨日です。私も嫌な予感がして、山際の子供たちを避けるように、車椅子の美月を外へ連れ出してワゴン車で帰ろうとしたら、あの子たちが悲鳴を上げて、駐車場の方へ逃げてきました・・・幼い兄妹は車内へ飛び込み、透子はワゴンの高い屋根の上に這い上がって身を潜ませてました。そこへ、金属バットを持った水沢玲於奈が現れたんです。どういうわけか彼女も右手に大袈裟な包帯を巻いてましたが・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「あの子はどうかしちゃったの?・・・・少なくとも私が直接会ったり、報告を受けて知ってる限りの水沢玲於奈は、人間に対して剥き出しの殺意を見せる子供じゃなかったわ。まるで復讐心を露にさせていた頃の森崎空にそっくりよ。あの子、車の中に美月や幼い子供がいる事を知ってて、何度もバットで殴りつけたのよ・・・・どうやら、彼女の狙いは透子のようだったけど、フロントガラスまで割られちゃったから、私がスタンガンを当てて気絶させました・・・」

諒子は愛用のメリービアンコのバックから、200万ボルトのスタンガンが顔を覗かせている事を安曇に指摘されて、慌ててそれを奥へ仕舞い込んだ。

「報告が遅れてすみません・・・図書館の職員が播磨署に通報してしまったので後処理に時間がかかりました。勿論、この件に子供が関わっていることは警察に洩れてない筈です」

安曇は平静を装っていたが、額から滲み出ている脂汗を諒子は見逃さなかった。安曇はそれを誤魔化すようにワインを一気に飲み干したが、諒子には透子の事について全て話しておくべきだと悟った。

「1960年代に起きたインド北部で起きた操影法の事故については、君も知ってるだろう?・・・被害は北東のアッサム州まで拡がったが、あの時に一部の集落だけ被害を逃れた地域があるんだ・・・伝染病のように拡がる災厄は、ソニトプルと呼ばれる地域の小さな村で収束した。そこに住む呪術師の老婆が『バステトのルール』を発動させた、という記録が最近になって見つかったんだ。ただ、これは現在も調査中の情報で、詳細は不明な点が多い・・・肝心の呪術師の女、ニーシャ・ルドラは1992年に亡くなっている・・・現在、日本で『一ノ瀬透子』と名乗り、山際健司の養女になっている少女がニーシャの孫娘、シータル・ルドラなんだ。」

「えっ!?・・・・あの子が・・・・それって、まさか?」

「これが何処まで本当の話なのか、僕らのスタッフの間でも意見が分かれている・・・はっきりしているのは、山際健司が操影法の研究に関わり始めた頃に、その情報を入手し、貧しい農村で暮らしている呪術師の家族を日本に呼び寄せた事だけだ」

「あの子が、その呪術師の力を受け継いでいるんですか?」

「そもそも、呪術自体が本当に存在するのかよく分からないが・・・シータル・ルドラが水沢玲於奈に何らかのアクションを起こした事は間違いない。操影法の封印を望んでいる君のお父さんにとっては朗報かもしれないが『バステトのルール』がこの段階で発動するなんて変な話なんだよ・・・操影法が完成しているのなら、その技術の特許を申請する動きが必ずある筈だ。国内では、実験に失敗して暴走するようなレベルに達していないのが現状だ・・・僕らの研究チームの中には、子供たちの行動は、何者かによって巧妙に仕組まれた罠ではないかと疑っている者もいる・・・」

「罠・・・・・・?」

「ああ、僕自身も含めて言える事だが、操影法に関わる人間は、結論を急ぐ余りに見切り発車で得体の知れない力に手を出してしまう傾向にある。それだけの魅力を持った革新的な技術なんだ。でも、この力は世界中に拡散し、完全に封印する事は不可能だとも言われている・・・いずれにしても、もう後戻りは出来ないんだ。僕らのすべき唯一の手段は、テロリストなどに悪用される前に操影法の構造を完全に解明して、それを制御する方法を探し出す事だ・・・怪しい呪術で、これ以上罪の無い子供の犠牲者を出す訳にはいかない・・・」

諒子は、安曇が悪酔いをして、我を忘れているのではないかと首をかしげた。それとも、これは懺悔のつもりで言っているのだろうか?・・・目の前にいる男は12人の幼い子供を殺害し、現在も1人の少女を誘拐して軟禁しているのだ。安曇が涙目になって酔いつぶれている様子を見て、諒子はハッとした。

「安曇先生・・・あなた、もしかして・・・播磨山の遺体遺棄事件について何か隠してませんか?」

安曇は諒子の問いには答えず、すぐに立ち上がり、報告書と上着を抱えながら、逃げるように店を出て行った。諒子はカウンターに座ったまま、今まで起きた播磨町周辺の事件を頭の中で整理していた。

(あの12人の子供を殺害したのは、おそらく安曇先生じゃない・・・・・あの人は、元々人殺しが出来るような性格じゃないし、過失で、たて続けに12人も死なせてしまうほど愚かな人間じゃないわ・・・)

諒子の携帯電話が鳴り、彼女は帰り支度をしながら受話器に応対した。電話の相手は美月の母親だった。

「えっ!?・・・美月ちゃんの容態が・・・・はい・・・分かりました。すぐ、そちらに伺います」

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ロンドンのヒースロー空港のラウンジで、春原透のプリペイド式携帯電話が鳴った。

相手は長嶺洋一からで、美月の両目が失明し、それを病院で確認したという内容のものだった。春原は唇を噛みしめながら、彼女の病状が予想通りの事態に進展した事に腹を立てていた。

「長嶺さん、美月は本人が抵抗しても、必ず入院させて下さい。俺もすぐに日本へ帰ります」

「あと、それから・・・・イギリスでとんでもない物を見つけましたよ・・・長嶺さん、俺はあなたに聞きたい事が山のようにある」

春原はそれだけ伝えて電話を切り、足早に国際線のゲートへ向かって行った。

 

Chapter23へつづく

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