Chapter23:「ギミック」

園部と寺田が、四国地方の徳島県にある旧・葛岳(カヅラダケ)村に到着したのは翌日の早朝だった。

葛岳村は徳島の北西部、吉野川の中流域に位置していた廃村で、この地域は、平家の落人伝説やかずら橋で知られる村が点在していた。かつては「秘境」と呼ばれ、観光名所になっていたが、落石や土砂崩れの多い過疎集落の為に、2006年の三好市の新設合併に編入され、新しい日本地図や県の公式文書から消去された。

「ここが萩人の生まれ育った村か・・・随分入り組んだ山の中にあるんだな」

「寺田さん、まだ目的地には到着してませんよ。ここからは車が通れない山道になります。目的地の弦箕(げんみ)神社まで、あと5キロほど歩く事になります」

「おい、山道を5キロって・・・俺は、お遍路参りに来たわけじゃねぇぞ」

「平安時代に人里離れた場所に作られた神社なので、交通の便があまり良くないんですよ。寺田さんは、ここで待っててもらっても構いませんよ」

寺田の仏頂面が更に不機嫌そうになったが、この地に東京で起きている事件に繋がるヒントがあるかもしれないという園部の推理を聞かされて、好奇心の誘惑には勝てず、しぶしぶ車を降りて山道を歩き始めた。

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一時間ほど歩き続けて、二人は石造りの鳥居を通過し、社務所こそ無かったが延喜式の趣きのある拝殿が目に入った。佇まいは小振りだが樹木の剪定や庭木の手入れなどがしっかり行き届いて、定期的に管理されている神社である事が一目で分かった。園部が唯一気になったのは、神社の入り口に置かれている狛犬(獅子では無い方)の首が無かった事だった。

「東京から来なさった園部っちゅう刑事さんはおまはんらか?」

庭から白髪頭に、神社に似合わない黒とシルバーのスカジャン姿の老人が箒を持って現れた。

「あなたが、加集さんですね・・・この神社の宮司さんでしたか?」

「ちゃうちゃう、わしは氏子じゃ・・・宮司の瀬部さんが高齢で一ヶ月前に入院されてな・・・手入れもようせん身体じゃから、わしが代わりにここの面倒を見ちょる・・・なんや、昨日の電話では、わしの里子じゃった子について聞きたい事があると言うちょったな?」

弦箕神社には小さな茶室があって、二人の刑事はそこへ案内された。茶室の中央にには、風呂敷に包まれたに石像が置かれてあった。

「あ、いかんいかん、狛犬の首がそのまんまじゃ・・・片付けるのを忘れちょった」

「どうされたんですか?これは?」

「いや、なぁに・・・最近この地域で、がいな竜巻が発生してな、樹齢1000年の桜の木が倒れて狛犬の首を叩き落としたんじゃ。元の石が無いから彫り直すわけにもいかん・・・知り合いの神具専門店の主人が接着剤で何とか修繕出来るっちゅうんで、そのまんまにしちょった・・・なんじゃ、おまはんら狛犬に興味でもあるんか?」

「あ・・・・いいえ、ちょっと気になっただけです。東京でも奇妙な竜巻が発生した地域がありましたよ・・・日本では稀な竜巻の発生は地球の温暖化が原因とも言われてますが、竜巻内部の観測が非常に危険なので、発生のメカニズムも全ては解明されてないそうで・・・」

「宮司の瀬部さんは全国的な災厄が起きる兆しじゃって言うちょったよ・・・そう言えば、東北地方も地震で大変らしいなぁ、わしの親友だった高橋っちゅう男も16年前の阪神大震災の被害に巻き込まれて亡くなった・・・おまはんらが話聞きたいって言うちょる萩人はその孫にあたる子なんじゃよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「萩人は東京の安曇家に嫁いだ高橋千絵子の実兄の息子なんじゃ・・・・その兄夫婦も、5年前の大雨で帰宅中に土砂崩れに遭って亡くなってしまった。叔母の千絵子もだいぶ前に病気で亡くなっていたし、この辺では身寄りが無いもんで、わしがあの子の里親を引き受けたんじゃよ」

「萩人君は、安曇家とは直接の血の繋がりは無かったわけですね」

「あの子は、去年の6月に頭に腫瘍がある事が分かってな・・・自分の名前もよう分からん状態になっちょった・・・・・そこへ、安曇家の後見人の長嶺っちゅう男がひょっこり現れて、東京で治してやるから、萩人を安曇家の跡取りとして引き取りたいって申し出てきたんじゃ・・・・・変な話じゃろう?・・・財産目当てか何か分からんが、重病人の子供を欲しがるっちゅうのは・・・」

園部はいつものように上着のポケットから小型のルービックキューブを取り出して、回し始めた。

「最初は、何度も門前払いして断っちょったが・・・あの長嶺が経営してる大病院は日本で五指に入る名医が揃ってると聞いて、わしも根負けしたんじゃ・・・あの子が簡単に助からない事は覚悟しちょったよ・・・高橋家はこの地域でも忌み嫌われている『犬神筋』の家系じゃったからな」

「犬神筋?・・・・・・何ですか、それは?」

「四国は代々、『犬神憑き』の家系が多いんじゃ・・・・其人先代に犬を生ながら土中に埋て咒を誦してをけば、其人子孫まで人をにくきと思ふと、その犬の念その人につき煩ふなり。それをしりてわび言をして犬を祭れば忽愈・・・・・土佐の「いざなぎ流」が伝えた呪法によって犬神使いとなった呪術者の家筋を「犬神筋」と言うちょる・・・・この神社は、その犬神憑きを落とす為に平安時代に作られたものなんじゃ」

「『犬』なんですか?・・・・猫じゃなくて・・・・萩人君は、病院を抜け出して会いにいくほど、猫を溺愛していたと聞いてますが・・・・・」

「犬神筋でも猫を飼っている家は珍しくない・・・今では、部落差別的な犬神憑きを迷信と言うちょる者が多い・・・でも、萩人が猫を好きだったなんて話は初耳じゃ。あの子はうちで飼ってた三毛猫をさんざん汚いって嫌っちょったからなぁ」

加集老人の携帯電話が鳴り、席を外して庭の方に出て行った。電話の相手は狛犬の修理業者のようだった。その隙に、寺田が園部の脇を小突いて話しかけた。

「おい、ミスター・・・犬とか猫とかどうでもいい話じゃねぇのか?・・・確かに東京でバケモノみたいな犬が暴れていたが、こんな東京から600キロも離れた地方の犬神信仰なんて何の物証にもならんぞ・・・・」

帰り支度を始めている寺田に、園部はキューブを見せて、さりげなく「パズル」が完成した事をアピールした。

「あの子が亡くなる直前に、安曇家の猫を追いかけて、一時も離れようとしなかったのは、猫が好きだったからでは無いかもしれません・・・病気の影響で判断能力が欠けていた可能性もありますが・・・・僕は、あの子が東京に来る前から、黒猫・・・・いや、もっと得体の知れないものかもしれないけど・・・その存在に気付いてたんじゃないか、と思ってるんですよ」

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東京と山梨の県境にある奥多摩町に、バブル景気の時代に作られ大型リゾートホテルの廃墟があった。ここは所謂、インフラ整備に重点を置く「箱物行政」によって作られた施設で、運用計画の失敗により、完成後わずか5年で閉鎖となった。閉鎖後は競売にかけられ入札を募集するも、買い手はなかなか現れなかった。不動産大手の「山際コーポレーション」という業者によって、土地と建物が買い取られたが、2001年に同社が倒産し、その後の事業展開は不透明となっていた。

その施設を一望出来る「赤土山」に設置した監視カメラをチェックしていた男から、長嶺諒子が常駐する事務所へ連絡が入った。

「チーフ、これからそちらの映像端末に画像を送ります。ホテルの屋上施設に人影が映っているので確認して下さい」

「了解・・・2つの人影が見えるわ・・・もっと、ズームを上げる事は出来ないの?」

「この位置からは、これが限界です。おそらく、これは山際の子供でしょう。柏原町から尾行していた車がいつも追跡不能になるのも、この建物から遠くないエリアなんです。読みが当たりましたね・・・ここは廃墟のようにカモフラージュしてますが、山際グループの活動拠点である事は、ほぼ間違い無い・・・子供まで連れてきている理由がよく分かりませんが、おかげで足がついた」

「用心深いあの男が、こんな単純なミスを犯すとは思えないけど・・・何か心境の変化でもあったのかしら・・・いずれにしても、簡単に潜入させてくれるほど、敵は甘くはないわ」

諒子は防弾素材のスーツに着替えながら、安曇グループの実動部隊に召集をかけた。

「10トントラックの手配は出来てる?・・・材木運搬用で構わないわ。分影の手続きが済んだ者から後続の車で待機。仮にあいつらが『操影法』を使っても、影は影以外のものに干渉出来ないから実戦に大きな影響は出ないわ。でも、長時間の生体分影はリスクが伴うから全ての計画を1時間以内に遂行する・・・くれぐれも敵に捕らえられる事が無いように!」

「チーフ、安曇先生から連絡が入りました。このまま回線を繋ぎます」

諒子は、最新型のアンダーバレル式グレネードランチャーを組み立てながら安曇の連絡を待った。

「何を勝手な事をやってる・・・君らは戦争でも始める気か?・・・山際グループに森崎空が捕まったという証拠でも見つけたのか?」

「彼女はあの敷地内に必ずいます」

「諒子!何故、そんな事が言えるんだ?」

「昨日の晩、あの子から美月に携帯電話で連絡が入ったんです。電波は不安定で、すぐに遮断されてしまいましたが、GPS解析の結果、森崎空の居場所を示すエリアにあのホテルが入ってました・・・彼女は、美月の事だけではなく、『操影法』に関して山際が欲しがっている有力な情報を持ってます。いつも事後報告ですみませんが、これは一刻を争う事態じゃないんですか?」

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春原透が、成田から多摩地区にあるセフィロト病院に到着したのは、その日の深夜0時を過ぎていた。

理事長室では、安曇恭太郎から、娘が山際グループのラボに潜入したまま戻ってこない、という報告を受けて頭を抱えている長嶺洋一の姿があった。

「諒子の件は、俺が山際と直接交渉しますよ・・・それより、ちょっと見て欲しい物があるんです」

春原は、長嶺の机の上にカビ臭い年代物の原稿の束を乱暴に置いた。春原が海外から、影の研究に関する資料を持ってくる事は過去に何度もあり、決して珍しい行動では無かった。長嶺も手馴れた様子でマスクと手袋をはめて、目の前の書類を物色し始めた。

「これは・・・英文だが、記章先生が書いた『影の構造』と同じじゃないか・・・著者の名前もDeimos-Curie(デイモス・キュリー)だ」

「原稿のタイトルは『Superstition』・・・つまり『迷信』です」

「これは、どういう事だ?・・・先生の本は海外どころか日本でも販売が中止になったものだ。しかもこの原稿用紙は近代のものではない。いつの時代に書かれたものなんだ?」

「詳しい日付までは分かりませんが、現地の専門家に鑑定してもらったところ、18世紀の終わり頃に書かれたものである事が分かりました。関心の無い者にとってこの原稿は紙屑同然です・・・でも、あの時代にDeimos-Curieという理論物理学者は、確かに実在していたんですよ。記章先生のペンネームのアナグラムは偶然かもしれませんが・・・彼の父親も著名な理論物理学者で、イギリスに在住した経歴のある安曇治兵衛でしたよね?安曇記章という名前の方が語呂合わせだったんじゃないでしょうか?」

長嶺は古い手帳を取り出して、過去に記したDeimos-CurieとAZUMI‐KISHOUの文字を何度も見比べた。

「いや・・・名前の由来などは、この際どうでもいいんだ・・・・長嶺さん、いい加減シラを切るのはやめて下さいよ・・・あなたは知ってた筈だ、『操影法』の理論が18世紀の怪しい物理学者が作り上げた未来永劫完成しないパズルだったって事を・・・

「な、何を言い出すんだ・・・誤解だ、春原君・・・確かに、あの本の原稿は記章先生が、過去の研究論文や資料を基づいて書かれた事は知っていた・・・だが、分影実験など精密な根拠に基づいて構築された理論である事は、君が一番よく知っているだろう?」

春原は煙草を取り出しながら、大きな溜息をついた。

「それがこの本の著者の狙いだったんです・・・安曇も、山際も、俺たち全員がこのギミックの一部となって動かされていたんだ・・・」

「何故、そう言い切れるのか説明してくれ・・・これは笑い話で済まされる問題じゃないぞ・・・私のこの片腕、片足をく見ろ!記章先生や君の子を宿して死んでいった千絵子さんは何の為に犠牲になったんだ・・・そもそも、何故、君はこの原稿がイギリスにあった事を知っているんだ?」

「俺は・・・『操影法』研究の歴史を調べる為に、20年前にもインドやエジプトなどを取材して回りました。だが、核心に触れるような資料・文献などは一切出てこなかった。最近になって、ようやく、この研究に関する世界中の論文から、妄想や虚言を弾いた消去法で『操影法』の起源はイギリスの限定された地域が発祥である・・・という事を割り出したスタッフがいたんです」

「誰なんだ、そいつは?」

「亡くなった三井孝彦です・・・・・俺たちは、知らない間にあいつのやり残した事を引き継いでいたんですよ」

 

Chapter24へつづく

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