Chapter24:「真犯人」

1969年11月17日(月曜日)

東京・世田谷の託児所で1958年の冬に乳母車ごと忽然と姿を消し、行方不明になっていた少年が発見された。

その少年は、生後1歳7ヶ月の頃にその託児所の職員によって誘拐され、茨城県真壁郡明野町・猫島にある平安時代の有名な祈祷師の末裔にあたる老女の自宅で育てられていた。

当時の警視庁は、幼児が行方不明になった同日に託児所の職員も姿を消し、身代金要求の連絡があった事から営利誘拐事件と断定。しかし、身代金を引き渡す場所に犯人は現れず、捜査はふりだしへ戻った。未解決のまま事件発生から10年を経て、加害者の孫にあたる少年の通報によって解決した。加害者の孫が、小学校に通わず屋敷の蔵の中に育てられていた被害少年を不審に思った事が事件解決の糸口となった。

消息を絶った託児所の職員と老女の接点は不明な点が多く、被害に遭った少年が加害者を本当の母親と信じ込んでい為に発見までに時間がかかった。任意同行を求められた老女が、少年と実孫を人質にとって立てこもり、刃渡り42センチの包丁で孫の腹部を刺した。その数分後に、彼女は警視庁の特殊犯捜査係によって射殺された。

加害者の名前は瓜生静子、孫の智明〈ともあき〉は腹部貫通の重症を負ったが奇跡的に一命を取り留めた。彼は後に東京に上京して警察官になり、2010年に関東近辺で多発した誘拐事件と播磨山遺体遺棄事件の捜査本部長に任命された。老女によって監禁されていた少年は、東京国立博物館の専属学芸員である父親を持ち、10代で米国ハーバード大学を首席で卒業した生物学者の三井孝彦で、彼は保護された後に加害者から高度の教育を受けていた事が判明した。

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2010年06月03日(木曜日)

叩きつけるような豪雨の中、埼玉県秩父の横瀬川の川岸で一組の親子が川から幼い少年の遺体を引き上げていた。

「悠・・・もう泣くな、起きてしまった事は仕方がない。話を聞いた限りでは、お前や永浜のお嬢さんに落ち度があったとは思えない。お前がどんなに泣いてもこの子は生き返ったりしないんだ」

「うぅ・・・そんな事は分かってるよ!・・・でも、僕はどんな顔をして未知子に会えばいいんだ・・・例え、彼女や家族の人が許してくれたとしても、僕は一生、この子を殺した罪を背負って生きなければならないんだ・・・」

ずぶ濡れの息子が嗚咽をあげる様子を見守りながら、三井孝彦は息子の血痕が付いているバールをタオルで丁寧に拭いていた。

「お前は普段は大人っぽいが、真面目過ぎて融通が利かなくなるところは、死んだ母さんにそっくりだよ・・・お前はまだ子供だ、将来が予想出来るほど人生経験を積んでいるわけじゃない。お前の心の傷は、時間が経てば必ず自然に治癒される・・・人間とはそういう生き物なんだよ」

父親が子供の遺体を車のトランクに収めている様子を見て、ようやく息子は、いつまでも泣いている場合ではない事を悟った。

「父さん・・・警察へ行くの?」

「いや、お前も分かっていると思うが、今の状況でそれは出来ない。だが、この子の遺体は家族の元へ必ず返すつもりだ。お前もこのバールを処分してアリバイを作るんだ。この子を見失った事にすれば、誰も罪には問われない」

「僕は嘘をつくのは嫌だよ。子供だからと言って少年法で護られたいとは思わない・・・父さんの仕事に影響があるなら、父さんの方が何も知らなかった事にすればいいじゃないか」

その時、三井孝彦は異様な殺気を感じて息子を黙らせた。

「シッ!・・・・・静かにするんだ、悠・・・お前は、あの声が聞こえないか?」

川岸の雑木林の中から、地鳴りのような異様な呻き声がこだましていた。三井悠は、林の中を徘徊する動物の影を見つけ、雷光に照らされたその姿を見て震え上がった。そこには顔の半分がケロイド状に焼けただれ、両目の無い黒猫が大きな口を開けて笑っていたのだ。

「あれは、未知子の家で飼っていた猫じゃないか・・・そんな、馬鹿な・・・あの猫は死んだ筈だよ」

三井孝彦は、息子が振り向いた瞬間に、素早い動きで上着のポケットから液体が入った薬瓶を取り出し、林に向かって投げつけた。

「ぎゃあぁぁう!!」

硫酸を身体に浴びた黒猫はもんどりを打って暴れていたが、三井がさらに、全ての有機化合物をプロトン化するフルオロアンチモン酸入りの薬瓶を投げつけようとした頃には姿を消していた。

「あれは猫なんかじゃない・・・あいつは私の計画を邪魔する為に、最初からお前をターゲットにしていたんだよ」

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息子に今後の動きを説明した三井孝彦は、東京・多摩地区にあるセフィロト病院に向けて猛スピードで車を飛ばしていた。

彼はバックミラー越しに黒のセダンに追跡されている事に気付いていた。住宅街の裏通りにある小さな交差点で停車したタイミングを見計らって、その車から白髪頭の男が現れ、三井の運転席のドアをノックした。

「免許証を見せろ、スピード違反だ」

警察手帳を提示したその男に対して、三井は動揺を見せずに車を降りた。

「・・・・・久しぶりだな、瓜生・・・・・・関東連続児童失踪事件の捜査本部長がこんな時間に車の違反キップを切ってるのか?」

「お前こそ、秩父の山の中で何をしていたんだ?・・・横瀬川の近くでお前の息子も見かけたな・・・」

三井はポケットの中の危険な薬瓶に、ゆっくり手を伸ばしていた。

「おっと、動くな・・・・車の中を調べたいから、少しの間、両手を頭の上に乗せておいてくれ」

瓜生が車中を調べている間に、彼の部下と思われる大柄の若い刑事が、脅すような表情で三井を見張っていた。

「私は急ぎの用事があるんだ・・・それが済んだら出頭でも何でもする。何を疑ってるのか分からんが、不審な点があるならさっさと調べてくれないか?」

「幼馴染だからと言って、見て見ぬフリは出来ないんだよ・・・かつての俺の婆さんみたいに、人の道を外した愚行を繰り返しているのなら尚更だ・・・それじゃ、後ろのトランクも開けてもらおうか」

三井は観念したように、瓜生の言われるがまま後部トランクの鍵を開けた。

「!?・・・・・無い・・・・・何も無い・・・・・・・貴様、横瀬川から引き上げたあの大きな荷物を何処へ隠したんだ?」

「荷物を・・・隠す?・・・・何の事を言ってるのか、私には見当も付かないが」

「とぼけるな、三井・・・俺は先月からお前の車を尾行していたんだ・・・今晩、あの川岸でやっていた事も一部始終見ていたんだよ」

そこへ瓜生の部下が近付いてきて、小声で上司に耳打ちした。

「何?・・・ガソリンスタンドに乗り入れた時に1台のワゴン車とすれ違っただと?・・・そうか・・・クソッ!こいつ、共犯者がいたのか」

物証を見失い、現行犯逮捕を諦めた二人の刑事を尻目にして三井は再び自分の車に乗り込んだ。

「瓜生・・・悪い事は言わない、このヤマから降りてくれないか?・・・君は、40年前に母さん・・・いや、瓜生静子が、僕ではなく孫の君を刃物で刺した理由について考えた事があるか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」

「彼女は、これから関東圏内で発生する大規模な災厄の予言をしていたんだよ。その災厄の発生メカニズムは、ある人物の発明によって、手の込んだルーブ・ゴールドバーグ装置のように、長い年月をかけて動いていた。私が君の祖母に誘拐されたのは、その連鎖を止める為だったんだ・・・」

「子供の頃から、いかれた妄想を語る奴だった・・・・お前はあの蔵の中で一生、閉じ込めておくべきだったな」

「私自身も人為的に負の連鎖を仕掛けるなんて荒唐無稽な話だと思っていた。だが、安曇記章という学者が現実にその兆候が始まっている事を証明したんだ。瓜生静子は、『バステトのルール』と呼ばれる祈祷術を用いて、その連鎖を断ち切ろうとしていた・・・だが、彼女は自分が生きている時代に全てを解決出来ないと判断したんだ。後に瓜生家や安曇家が災厄に巻き込まれて崩壊する事が分かっていた彼女は、血縁関係の無い第三者の私に全てを託したんだよ・・・君を殺そうとしたのは、いずれ彼女の計画の邪魔をする存在になる事が分かっていたからだ」

「いい加減にしろ!・・・あの事件の後に、瓜生家から不審な死亡者が出たのは、痴呆症のあの婆さんの予言を信じた者がいたからだ・・・全く本末転倒な話だよ」

「その瓜生静子も晩年に記憶障害になって、私を蔵に閉じ込めたまま忘れていた時期もあった。危うく餓死しかけたところを君が助けてくれたんだね・・・私は君に大きな借りがある・・・現在起きている子供の失踪事件に関わらなければ、最悪の事態は避けられると思うんだ」

「それは脅しのつもりか?・・・・お前こそ婆さんの迷信を信じて、何かの犯罪に加担しているのなら、今すぐにでも自首するんだな・・・・・・こいつを調べても時間の無駄だ、おい、行くぞ!」

瓜生は部下を引き連れて、迅速にセダンに乗り込み、不審な荷物を乗せたワゴン車を追跡する為に車をUターンさせた。

三井孝彦が幼馴染の瓜生智明の生きている姿を見たのは、その日が最後だった。

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「子供の死体は全部積み終わったか?」

春原透が、セフィロト病院の研究棟にある駐車場から、検死の済んだ12人の子供の亡骸を積んだ小型トラックを発車させようとしていた。そこへ、セキュリティ・スタッフを引き連れた病院理事長の長嶺が現れ、困惑した表情で春原に詰め寄った。

「春原君、この騒ぎは一体何なんだ?・・・・恭太郎君は子供たちを解放したのでは無かったのか?」

「安曇の奴、嘘をついていたんですよ。やはり、あいつは人間を使った生体実験を続けていたんだ・・・あいつのラボを強制的に封鎖させた時には子供の姿は無かった。よりによって、この病院の敷地内に死体を隠していたなんて・・・長嶺さん、あいつに手を貸したりしてないでしょうね?」

「馬鹿を言うな、こんな事が外部に漏れたらセフィロト病院は一巻の終わりだ。あんな無謀な生体実験に協力をするわけが無いだろう・・・・・どうするつもりだ?・・・・警察へ届けるのか?」

「普通のやり方では無理です。これ以上『操影法』の存在を世に広めるような事は出来ない・・・それに山際の研究チームも隠蔽工作に動き出している。このトラックもあいつらが用意したものなんですよ。一足遅かったら全員の遺体が山に埋められるところだった。公安庁から派遣されている山際が関わっている以上、この件の告発は慎重にやらないといけない」

「子供の死体を何処へ運ぶつもりなんだ?」

「深夜のうちに、人目に付きやすい場所に遺棄します・・・場合によっては新聞社などのマスコミにリークするかもしれません。危険な橋を渡る事になりそうだが「操影法」の名を出さなくても、このプロジェクトに関わっている技術者やスポンサーは分が悪いと判断して撤退する筈です・・・恭太郎の活動に歯止めをかける為にも、やるだけの価値はあると思ってます」

「そうか・・・分かった。くれぐれも警察に気付かれないようにな。子供の失踪事件を捜査している瓜生という刑事が、どういったわけか、病院の関係者を疑っているようだ。うちのセキュリティ・スタッフにも協力させたいが、顔が割れている彼らを迂闊に参加させるわけには行かない」

「分かってます、死体の搬送は俺の方でやります。長嶺さんは、山際の仲間が現れたら、出来るだけ足止めさせて下さい」

安曇グループから造反した数名の研究員が荷台に乗り込み、春原がエンジンをかけていると、助手席に50代の白衣を来た男が乗り込んできた。

「私も手伝いますよ」

「三井先生・・・あなたは以前、長嶺さんと共に記章先生の助手を務めていた方ですよね・・・俺と同様に、病院とは直接の雇用関係に無い方だから構いませんが・・・でも・・・これは力仕事ですよ?」

「春原さん、私は罪の無い子供たちの死を無駄にしたくないんです・・・どうか、この作業を手伝わせて下さい」

春原は、しばらく三井の表情を窺っていた。三井孝彦は、安曇、山際、春原のグループが決裂する前から、どの部署でも一目置かれていた優秀な生物学者だった。その一方で、いかなる派閥にも属さない一匹狼のようなところがあり、特に長嶺は厚い信頼を寄せていた。春原も、冷静沈着で普段は自己主張しない天才学者が、この非常事態に関わってくる、という事はそれなりに意味があるような気がしていた。

「わかりました、三井先生。あなたがそこまでおっしゃるなら一緒に来て下さい」

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播磨山公園に子供の死体を遺棄した春原たちは、それぞれの任務を計画通りに遂行させた後は、病院へ戻らなかった。

春原は、搬送に使ったトラックを処分した後に、本来の職場である出版社へ戻り、談話室のソファーで仮眠を取った。

翌朝、彼は24時間点けっ放しの談話室の液晶テレビに播磨山丘陵が映っている事に気付き、リモコンを握って、消音状態を解除した。バラバラと言うヘリコプターの飛行音が鳴り響き、ニュース番組のレポーターが興奮気味に何かを叫んでいた。

「現在、我々は立入禁止になっている播磨山公園の上空を飛んでいます。発見された子供の遺体は、すでに司法解剖の為に運び出されたようですが、公園はいまだに、たくさんのブルーシートで覆われています」

筋書き通りの展開に春原は胸を撫で下ろしたが、公園の様子がよく分かるアングルの映像を見て目を疑った。

「空から現場を見下ろさないと分かりにくいですが、地面に方位盤のような巨大な正八角形が描かれています。その一辺に2人と1人が交互に置かれ、まるでブルーシートの位置が、風水などで使われる『十二方位』を示しているようにも見えます。はたして、これは死体遺棄した人物によって描かれたものなのでしょうか?・・・・あ・・・・ただいま続報が入りました。子供の遺体が、この図形から少し離れた茂みの中で、もう1体発見されたそうです・・・13体目の遺体がたった今発見されました!」

次々に予定に無い展開が起こり、春原は何も知らされていない一般の視聴者と同様に呆然としながら、テレビの中継を見ていた。そこへ、電話の呼び出し音が、けたたましく鳴った。

「春原君!あの図形を描いたのは君の指示なのか?・・・それに・・・・どうして、子供の死体が増えているんだ?」

ようやく春原は我に返って、長嶺の電話に答えた。

「あの図形は、俺が播磨山に行った時には無かった。死体の数も何度も確認してます・・・間違いない、あの最後に見つかった遺体は、俺たちが運んだものじゃない・・・」

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2011年1月24日(月曜日)

三井孝彦は、銀行の貸金庫のキーと暗証番号を書いたメモを同封した封筒を路上の郵便ポストに投函した。

「三井先生、時間がありません。早く車に乗って下さい。森崎空が篠日出子の影を追ってセフィロトのかなり近いところまで移動しているようです。山際さんから、あの影は病院の敷地内で処分するように指示されてます」

ワンボックスタイプの黒のライトバンを運転している茶髪の若い男に促されて、三井は車に乗り込んだ。

「今回は安曇が解放した子供を再び拉致する仕事に比べたら簡単だけど・・・・先生が同乗している事が山際さんにバレたらヤバイんですよ。あの人は、先生が子供たちを筋弛緩剤を使って全員殺害した事をいまだに怒ってます。可愛い子がいたのに勿体無いってホヤいてましたよ。俺たちは、金さえ出してくれれば誰の仕事でも引き受けますが、とばっちりだけは御免です」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「篠日出子は殺しても構わないようですが、森崎空には指一本触れるな、と言われてます・・・・あ・・・彼女が病院の入り口を入っていくところを確認しました。おい、後ろに乗っている新入り!ガソリンの準備をしてくれ・・・あっ、先生!何をする気だ?」

三井は運転席の男からハンドルを奪って、強引にアクセルを踏み込んだ。

「やめろっ・・・・危ない!」

茶髪の男が叫んだ頃には、フロントガラスのフレームに血糊が飛び散り、目の前を歩いていた少女が視界から消えていた。男は急ブレーキをかけて車を停車させると、三井の胸倉を掴んで抗議した。

「なんて事をしてくれたんだ・・・こんな事がバレたら、俺たちが山際さんに殺される!」

三井は引きつった笑顔を見せながら、興奮している茶髪の男の腕を解いた。

「あの子は、これぐらいでは死なないから大丈夫だ・・・・・我々の力では、どんなに知恵を絞っても、彼女を殺す事なんて出来ないんだよ

 

Chapter25へつづく

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