Chapter3:「影」

2010年6月29日(火曜日)

ドスッ・・・・

花壇の手入れをしていた水沢玲於奈(レオナ)が振り向くと、花が咲いたばかりのマリーゴールドを何本も
押し潰して「消火器」が垂直に立っていた。

玲於奈は周りの気配に注意しながら、ゆっくりと校舎の壁から離れ、消火器の真上に位置する二階・三階の
窓を見上げた。十全堂小学校の三階は特別教室専用のフロアなので、放課後に生徒が使用することは
ほとんど無い。彼女は、三階の理科準備室の窓辺から、逃げるわけでもなく、こちらの様子を窺っている小
さな影を見つめていた。

「レオナーっ、城戸先生が呼んでるよー」

同じ美化係の篠美月の声が中央玄関の方から聞こえてきた。玲於奈は窓の影に向かって眉をしかめると

「下手糞・・・」

と呟いて、何事も無かったかのように校舎の中へ入って行った。

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玲於奈は10歳の誕生日に留学先のイギリスで焼身自殺を図ろうとしていた。

彼女は、学園の広大な敷地内にあるお気に入りの湖畔でガソリンを浴びて、全身火だるまになって死んでやろ
う、と着々と準備を進めていた。

ところが、誕生日の当日になって、女子寮に日本からの国際郵便が届いているという連絡が入った。
彼女が受け取った小さな小包には差出人の名前が無く、手紙も入っていなかった。中には白い粉末が入った
特徴的な形のガラス瓶が入っていて、オク(Och)というエンボス文字が浮き彫りになっていた。彼女の個性的
なバースディ・イベントの計画は、この不可解な贈り物によって阻まれた。

玲於奈には小包の贈り主が分かっていた。こんな物を送りつけてくるのは、幼なじみの森崎空以外に考えられ
ない。空から薄気味悪いメッセージを受け取ったのはこれで二度目だ。玲於奈が日本からイギリス留学へ出発
する日の朝、水沢家の郵便受けに玲於奈宛ての手紙が入っていた。その時も差出人の名前は無かった。

(のろいころしてやる)

手紙に書いてあったのはその一文だけだった。

いかにも小学生らしい下手糞な鉛筆文字を見て、7歳の玲於奈はその場で手紙を破り捨てた。玲於奈の両親
は娘の留学先を誰にも知らせてなかった。しかし、幼い森崎空は3年かけて自分の居場所をつきとめたのだ。

玲於奈は気に入らなかった。このタイミングで自殺を図るというのは、空の「呪い」が成就されるようなものだ。
彼女に追い詰められて無様な最期を遂げることだけは玲於奈のプライドが許さなかった。

玲於奈が「シニアに進級しないで、日本へ帰りたい」と両親に打ち明けたのは、その日の晩のことだった。

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「おい、水沢・・・・僕の話、聞いてる?」

白衣姿の5-Aクラスの副担任・城戸澄也が玲於奈の顔を覗き込んだ。

「あ・・・・すみません」

「このところ、三階の教室から備品が持ち出されて困ってるんだ・・・昨日も階段の影で見張っていたら、そこへ
Bクラスの森崎空が消火器を抱えて現れたんだよ・・・・彼女はあんな物を持ち出して何をやってるんだろう?」

「さあ・・・・・?」 玲於奈は副担任の調子に合わせて怪訝な顔をして見せた。

「君は海外に留学する前に、森崎の家の隣りに住んでいて、彼女とは幼なじみだったそうじゃないか・・・彼女
は何かと学校を休みがちなんで、悩み事でもあるんじゃないかと思ってね・・・相談に乗ってやろうと思ってるん
だ」

「森崎について知っていることがあったら何でもいい・・・教えてくれないか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

城戸澄也は玲於奈が十全堂小学校に戻ってきた頃に赴任されてきた20代の新任教師だ。生徒を怒鳴りつ
けない指導を信条とし、見た目も穏やかでいつも目が笑っていた。糖尿病を患っているベテランの正担任と
生活指導を分担しているが、5・6年の女子生徒のほとんどが城戸に相談を持ちかけていた。

「森崎空とは、小さい頃にケンカして、それ以来、口を利いてません」

「ケンカする前は仲良しだったんだよね?」 笑った目で城戸が食い下がった。

「それは・・・・・・・・・・」 

玲於奈は、この教師の裏表の無い優しい笑顔が苦手だと思った。

「空の事は本人に聞いてもらえませんか?・・・現在の彼女が何を考えてるのか、私には見当がつかないので」

玲於奈は立ち上がって、足早に小会議室を出ていった。

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駅ビル「グリムタウン」は、ベビー用品からコンピューターゲームまで主に子供の購買層を対象にしたテナント
が立ち並んでいた。ここ数年は不況の煽りを受けて廃業する店が多く、9階立てのフロアの上層2階が閉鎖。
屋上のスカイパークもかつては賑わいのある広場だったが、ここも閉鎖が決まり、グリム童話をモチーフにした
遊具がそのまま放置されていた。

スカイパークは立ち入り禁止になっていた。ビルのオーナーである篠正晴は、別れて暮らすようになった双子
の娘と会う時はいつもここを利用していた。

フェンスの外側で駅前の大通りを眺めている篠日出子が振り向くと、同じクラスの水沢玲於奈が、ファースト
フード店のレジの順番を急かすような調子で話しかけてきた。

(さっさと飛び降りなさいよ)

玲於奈は幼い頃に留学したせいか、日本に戻った時に日本語が話せず片言になっていた。その時に面倒を
見てくれたのが、双子の篠姉妹だった。特に妹は手話で話しかけてくるので、玲於奈は日本語より先に手話を
マスターしてしまったほどだった。双子はクラスで浮いた存在だったので、この早熟で身のこなしが美しい転校
生と仲良しグループを作りたがった。玲於奈も、ギリシア神話に登場する双頭の犬のように、いつもくっついて
いる双子の篠姉妹が決して嫌いじゃなかった。

その二人が現在、分裂している。 

美月はいつもと変わらない感じだったが、日出子は廃人のようになっていた。姉への依存度が高い障害児の妹
は一人になるとパニックになることが多い。二人の間に何かトラブルが起きたことは間違いなかった。だが、玲於
奈はそれ以上深く詮索しなかった。ただ(死にたい)と言っている日出子に協力してやろう、と思っていた。

日出子はいつまで経っても飛び降りようとはしなかった。5分も経たないうちに、四つん這いになってガタガタ震え
出し(怖い)と言うと、モンスターのような声を上げて泣き始めた。

呆れた玲於奈は、フェンスの壊れたフレームをくぐると日出子の隣に座って、彼女の頭を撫で始めた。玲於奈
はポケットから白い粉末が入ったガラスの小瓶を取り出すと、そっと日出子にそれを握らせた。

(いざと言う時はこれを使うといいわ・・・・確実に死ねる筈だから)

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夜になって、播磨山公園前のバス停を通り過ぎた玲於奈は、公園の茂みに隠れてこちらの様子を窺っている
小さな影に気付いた。死体遺棄事件後に周辺はマスコミ関係者が頻繁に出入りしていたが、夜になると話題に
なりそうな材料も無いのか閑散としていた。玲於奈が影の方向に歩き始めると、その影は丘陵を登って移動し
始めた。

「空・・・・・?」

玲於奈は生徒の立ち入りが禁止されている公園の奥へ入っていった。気が付くとそこは13体の子供の死体が
が遺棄されていた広場だった。現場検証の痕跡を見ると、死体は儀式のように正八角形の図形に円陣を組む
ような形で置かれていたようだ。玲於奈は何気なく図形の中心に立ってみた。辺りを360度見回していると、彼
女の視線はある一点で止まった。噴水近くの芝生の近くで戯けるような子供と猫の影が映っていた。だが、どこ
を見渡してもその影の持ち主がいないのだ。

玲於奈がその場所を確認しようと歩き出した瞬間、突然視界を失った。

頭から袋のようなものを被らされて、彼女は後頭部を数回殴られた。その「袋」はセメントの匂いがした。暴漢は
手慣れた様子で玲於奈の両手に手錠をかけると

「歩け・・・こっちだ・・・・」

と命令した。大人の男がヒソヒソ話す声が聞こえる。玲於奈は丘陵の斜面でわざとつまづいた振りをして転んだ。
倒れた自分の袋を掴みかけた相手が最低でも3人はいると思った。公園の周囲にある歩道にたどり着くと、車
のスライドドアが開く音が聞こえた。玲於奈は車の中へ連れ込まれそうになっていた。その時、聞き慣れた大人
の叫び声が聞こえた。

「そこで何をしてる!」

「くそっ、城戸に見つかった・・・まずい・・・早く、車出せよ!」

玲於奈は車から歩道に突き飛ばされ転倒した。城戸は、けたたましいエンジン音を上げて立ち去る黒い大型バン
をしばらく追いかけた。彼は学生時代に陸上部の代表選手だったので体力には自信があった。しかし、交差点を
過ぎた辺りで大きく引き離され追跡を諦めた。戻ってきた城戸澄也は玲於奈のセメント袋を外し、心配そうに声を
かけた。

「大丈夫か・・・水沢」

「はい、先生・・・すみません、私・・・・・・痛っ・・・・」

玲於奈は立ち上がろうとしたが、すぐしゃがみ込んだ。どうやら転んだ時に車道と歩道の段差に向こう脛をぶつけた
ようだ。脛の表面が紫色になっていた。城戸は彼女に背中を向けると

「ほら、負ぶされ、水沢・・・その手錠も外してやる、とにかく一度学校へ戻ろう・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

「どうした、先生とくっつくのは恥ずかしいか?」

城戸は玲於奈を元気づけるように明るく笑い出した。玲於奈はかぶりを振ると、素直に城戸の背中に身を預けた。

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翌日、玲於奈はいつものように花壇の手入れをしていた。
そこへ、昨晩の宿直勤務では何も問題が無かったかのように、穏やかな笑顔の城戸が近付いてきて、彼女に声を
かけた。

結局二人は、公園の暴漢のことは警察に通報しなかった。十全堂小学校は遺体遺棄事件以来、マスコミの目に晒
されて、警察沙汰のトラブルは出来るだけ公けにしない方針になっていた。しかも、昨日の事件は、生徒が夜中に
立ち入り禁止区域に入ったことが原因でもあるので、学校側にも監督不行届きの落ち度がある。

玲於奈は自分の非を認め、学校の方針に従うことにした。城戸も通学路の巡回パトロールを徹底すれば、昨晩の
ようなトラブルは防げると信じていた。

「あぁ・・クラスのみんなで植えたマリーゴールドがへし折られてるなぁ、誰だ?こんな悪質なイタズラをするのは・・・」

城戸が花壇に身をかがめた瞬間だった。「ドスッ・・・」と鈍い音を立てて、何かが彼の後頭部を直撃した。

玲於奈の足元に転がってきたのは、例の「消火器」だった。

玲於奈は、ゆっくりと校舎の壁から離れ、周囲を警戒し始めた。倒れていた副担任が立ち上がり、頭を押さえながら
「大丈夫・・・僕は大丈夫だ・・・・水沢、ケガは無いか・・・・?」と言いながら、歩き出した。だがその目の焦点は合っ
て無かった。彼は酔っ払いのようなフラフラした足取りで校庭の方へ移動していた。

校庭にいた篠美月が異変を感じて近付いて来た。

「いやあぁぁぁぁ、城戸先生ーーーっ!」

後頭部から血を噴出して倒れている教師の姿を見て悲鳴を上げると、彼女はその場で気を失った。その背後から
小さな影が飛び出してきて、ショルダーバックからタオルを何枚も取り出し始めた。
玲於奈は、森崎空がこの事態
を予測してどこかで見張っていたことに気付いていた。空は
教師の頭蓋骨からはみ出している後頭葉の一部とカリ
フラワー状の小脳を頭の中に押し戻していた。予想以上に当たりどころが悪い、空はおびただしい量の血を浴び
ながらそう思った。彼女は、腕組みをしながら傍観している、かつての幼なじみを睨みつけ、叫んだ。

「携帯で救急車を呼んで!先生はまだ助かるわ」

玲於奈は「チッ」と舌打ちすると、携帯電話なんか持ってない、という素振りを見せて、歩きながら校庭を立ち去った。

空は血溜まりの中でいつまでも玲於奈の後姿を睨み続けていた。やがて、騒ぎを聞きつけた教職員が校庭に集まりだし、空はその場から引き離された。その時、空は三階の理科準備室の窓から、虚ろな目でこちらを覗いている
生徒と目が合った。

それは、篠日出子だった。

Chapter4へつづく

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