Chapter4:「双子」

2010年6月17日(木曜日)

(うぅ・・・気持ち悪い・・・)

双子の姉・篠美月が車道を避けるように歩いていた。

いつも姉と行動を共にしている日出子が、車道の中央を見ると、そこには動物の足が転がっていた。
頭や胴体は潰れていて、一部の臓器がまだ動いている。

日出子はその近くで、手書きの「燃えるゴミ」と書かれたビニール袋がモゾモゾ動いていることに
気付いた。袋の中から生後一ヶ月ぐらいの雑種の犬が飛び出してきて、二人の足元にまとわりついた。

(捨て犬よ。前にもあったわ・・・・袋に入れてわざと車道に置いたのよ)

美月は、今年になって保健所のペットの引き取りが有料になったことを説明した。日出子の視線は、
足だけの姿になってしまった仲間の匂いを嗅いでいる仔犬の動きを追っていた。

(酷い・・・美月、この子はどうなるの・・・・・・私たちで助けられない?)

(駄目よ、家じゃ飼えないわ。ママは犬が苦手なこと、知ってるでしょう・・・)

日出子は仔犬の頭を撫でると、名残惜しそうに何度も振り返りながら、通学路に戻っていった。

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学校の裏側にある市立公園で13人の子供の遺体が発見されたのは、関東地方が梅雨に差し掛かった
時期だった。公園の入り口には警察によって立ち入り禁止のテープが張られ、車道には、テレビなどの
報道関係者が連日群がっていた。双子はバス通学だったが、ここ数週間は、公園より一つ手前の停留
所で下車して、いつもは通らない通学路を利用していた。

二人は、今年の春から母親が付き合うようになった山際健司という男について話していた。

(ママは再婚するのかなぁ・・・)

(私はあいつ嫌いよ・・・勝手に人の部屋に入ってくるし、お風呂に一緒に入ろうって誘ってくるのよ・・・・
ママに言いつけたら「彼独特のジョークだから気にするな」だって・・・・・ただのセクハラ親父じゃん!)

(パパとは会えなくなるの?・・・私、苗字がヤマギワになっちゃうの嫌だな・・・・)

(あーあ、ママは男を見る目が無いよ。どうせなら、あんな脂ぎった中年男じゃなくて、学校の城戸先生
みたいな人と付き合えばいいのに・・・・)

(でも城戸先生は、ママと歳が離れ過ぎてるわ・・・美月が先生と結婚すればいいのよ)

日出子は美月が城戸澄也に「首ったけ」なことをよく知っていた。双子の姉は顔を真っ赤にして嬉しそうに妹
の背中をパンパンと叩いてきた。

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今年の4月に赴任してきた教師・城戸澄也は、女子生徒の間で密かにファンクラブが結成されるほどの人
気者だった。ルックスだけではなく、生活指導も熱心で特に聴覚障害を持つ日出子には何かと目をかけて
くれていた。美月は一度だけ、日出子を出汁に使って城戸にラブレターを渡したことがあった。教職を真っ
当したいから受け取れないと丁寧に断られた美月は、ショックの余り、数日間学校を休んでしまった。でも、
すぐに立ち直って、卒業するまでに先生を振り向かせてみせると日出子に宣言していた。日出子はそんな
姉の前向きな性格が好きだった。

本格的に梅雨入りした翌日の放課後、日出子は三階の理科準備室で城戸を待っていた。彼女は、居残り
しなければならない理由が思い当たらず、教師がなかなか現れないので不安になっていた。学校の三階
は放課後になると人の気配がほとんど無くなる。つい最近も三階の廊下側の窓から、丘陵地を撮った携帯
カメラの画像に子供の影が映りこんだ、という噂が流れていた。日出子はブルブル震えながら姉にも残って
もらうべきだったと後悔した。

そこへ、暗がりの中から、薄笑いを浮かべた城戸が姿を現した。

日出子は驚いて思わず目を瞑ってしまった。彼女は恐怖心を感じた時に目も耳も塞いでしまう癖があった。
外界が完全に遮断されれば、亀が甲羅に隠れるように安全だと思い込んでいたのだ。城戸は椅子に座って
いた日出子の背後に立って腕を回してきた。そして、目を瞑っている彼女の手に何かを握らせた。柔らかい
感触で周りに毛が生えている・・・・日出子は思わず、それを振り払って立ち上がろうとしたが、肩を掴ま
れ元の位置に戻されてしまった。

恐る恐る目を開けると、目の前で穏やかな笑顔の教師が手話で話しかけてきた。

(誕生日、おめでとう!)

日出子に渡された柔らかい感触の正体は猫のぬいぐるみだった。

(家庭科の森先生に教わって僕が作ったんだよ。日出子は犬好きだと聞いてたけど、何度やり直しても猫に
なっちゃうんだ。結局、森先生が仕上げてくれたんだけど・・・・気に入ってくれるかな?)

日出子は安心して肩を落とすと、ポロポロと涙をこぼし始めた。

(あ・・・ごめんごめん、脅かすつもりは無かったんだ・・・)

城戸がハンカチを取り出し、臆病な生徒の涙を拭いた。日出子の視界が明けた時に、城戸は廊下の方を向
いていた。彼は、何かの気配に気付いて、準備室から出て行った。しばらく経って戻ってくると

(大きな物音がしたから、誰かが廊下にいるのかと思ったけど・・・・・・消火器が倒れただけだったよ)

と言いながら、日出子を慰めるように再び笑顔を見せた。

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日出子は帰宅すると、貰ったぬいぐるみを寝室のベッドの下に隠した。

彼女は城戸に対して恋愛感情は無かったが、特別扱いされていることに悪い気はしなかった。もしかしたら、
先生は同じ誕生日の美月にも贈り物をしているかもしれない・・・・でも、そうでない場合は、かなり面倒なこと
になる。妹は姉にぬいぐるみのことは話さない方が賢明だと思った。

双子がお互いの誕生日を祝う夕食の支度を手伝っている時に、いつものように山際が現れた。あい変らず美
月は彼に対して無愛想だった。だが、日出子から人気文具メーカーの可愛いメモ帳セットをプレゼントされる
と嬉しそうに笑顔を見せた。彼女は不器用な手つきでニンジンの皮を剥きながら、

(私も、とっておきのプレゼントを用意したわ、日出子、絶対に喜ぶわよ)

と、妹に目配せした。日出子は明るい美月の姿を見て、少し後ろめたい気持ちになっていた。

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就寝前に歯を磨いていた日出子は、山際が帰ってしまったことに気付いた。いつもなら、終電ギリギリまで
背広姿のままリビングで母親と焼酎を飲みながら談笑しているのだが、今日は双子の誕生祝いということで
気を利かせたつもりなのだろうか、夕食後にそそくさと帰ってしまったようだ。

部屋に戻った日出子は、城戸のぬいぐるみが気になって、ベッドの下から取り出していた。犬とも猫とも言い難い
微妙な表情のぬいぐるみ・・・でも、そこに愛嬌があると思った。彼女がしばらく眺めていると、突然、その首がポ
ロリと落ちて床を転がった。首から綿がはみ出している。縫いつけが悪かったんだろう、と日出子は思ったが、
ぬいぐるみの腹部を見て彼女は狼狽した。そこには明らかに刃物で何度も刺したような跡があったのだ。

その夜、日出子は布団の中で震えていた。

(美月がやったのかしら・・・・・・でも、証拠が無いし、例えあったとしてもそれを責めて嫌われるのは怖い・・・・
それは絶対に出来ない・・・)

(美月は、冷たい素振りを見せる時があるけど、こんな陰湿なことはしないと思うわ・・・・夕食の時はあんなに
楽しそうだったじゃない・・・あれは演技だったってこと???)

日出子は、姉が自分に対して悪意を向けていることを認めたくなかった。

(この事は誰にも相談出来ない・・・・)

自分さえ黙っていれば、これ以上傷つけられることは無いだろう、と彼女は信じていた。

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翌朝も雨だった。

日出子が目を覚ますと、机の上にマグカップが置いてあった。二人は携帯メールで内緒話をすることはあっ
たが、母親が通信履歴をチェックすることが多いので、肝心な話をする時に独自のサインを使っていた。逆さ
に置かれたマグカップは「置時計の下に手紙がある」という意味だ。日出子がそれを見つけると

「きのうの子犬をママに内緒で飼うことにしたの、先に行ってるから、見つからないようにミルクを持ってきて」

と書いてあり、その下に砂塚町の廃団地の位置を示す簡単な地図が書かれていた。日出子は嬉しかった。
昨日の出来事は、自分の思い込みだったのだ。美月は、怒っている時に妹を喜ばすような事をする性格で
は無い。日出子は母親が台所を離れた隙に、牛乳を小型のボトルに移し替え、雨の中をスキップしながら、
砂塚町方面へ向かって行った。

砂塚町の廃団地は、通称「おばけ団地」と呼ばれていた。低所得層に斡旋された都営の住宅だったが、
建て替えの計画が頓挫して全20棟の半分が廃屋になったまま放置されていた。日出子は鍵がかかってい
ないB-104の部屋に入り、美月の姿を探した。奥の部屋に美月のランドセルと可愛いタオルが敷かれたダン
ボール箱が置いてある・・・明らかに美月が訪れた痕跡はあったが、彼女と仔犬の姿は見当たらなかった。

(こんな雨の中、散歩にでも行ったのかなぁ・・・・)

日出子が磨りガラス越しに窓の外を覗いていると、背後に人の気配があることに気付いた。玄関には山際健
司が立っていた。山際は雨で濡らした背広を拭きながら、土足で奥の部屋に入ってきた。日出子は手話が通
じない彼に話しかけるために、ランドセルからメモ帳を取り出そうとした。すると、山際は日出子を突き飛ばして、
ランドセルに繋がっている防犯ブザーを靴の踵で踏み潰した。咄嗟に日出子はその意味を理解した。

山際は逃げようとする日出子の足を掴み、ビジネスバッグから梱包用カートンテープを取り出した、慣れた
手順で彼女の右腕と右足、左腕と左足を拘束し、まともな発声が出来ないその口もテープで塞いだ。
日出子が必死で逃げようとして窓を見上げると、磨りガラスに浮かんでいる子供のような影が目に入った。

(だ・・・誰か、助けて・・・・)

日出子は奇声を上げていた。それに気付いた山際は、彼女の顔を何度も拳で殴りつけた。男は抵抗出来なく
なった少女のスカートをまくり上げ、下着を刃物で切り刻んだ。日出子は恐怖心で動けなくなり、磨りガラス
の影を睨みつけた。影は動かずにいつまでもその場に貼り付いていた。彼女は涙が止まらなかった。

自分の性器を露出した山際は、日出子の両脚を押し開き、幼い陰部に全体重をかけてきた。彼女は苦痛
の余りモンスターのような声を上げて泣き出した。その声を不快に感じた山際は、再び少女の顔を殴りつけた。
日出子は鼻血を出した。だが、男はそれに構わず腰を振り続けた。彼女は股間からも出血し、廃屋の畳が赤
い血で染まっていった。

日出子の意識が無くなりそうになったところへ、ずぶ濡れの少女が現れて、山際に掴みかかった。レインコート
のフードの中には怒りに顔を歪めた美月の顔があった。山際は一瞬驚いたが、すぐ我にかえり、美月に悪態を
つくと背広とバッグを抱えて足早に部屋から出て行った。

「日出子!日出子!・・・・」

美月の唇の動きから、姉が自分の名前を叫んでいることが日出子には分かった。

美月は携帯電話で誰かを呼ぼうとしたが、日出子がそれを制止した。

(大丈夫よ・・・ママにバレたら・・・あの子がまた捨てられちゃう・・・・)

(今朝、ここの入り口を開けたら、あの犬が外に飛び出して逃げちゃったのよ・・・探したけど何処にもいないの
・・・・もっと早く戻ってくれば良かった・・・日出子・・・・ごめん・・・・)

美月は自分の軽率な行動をいつまでも悔やみ、涙を流していた。

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翌日の早朝に雨は上がった。

美月は雨の中で犬を探し回ったせいもあって、朝になって高熱を出し、寝込んでしまった。
日出子も学校を休みなさい、と寝ている姉に心配されたが(ママに怪しまれるから)と、その日は一人で登
校することにした。

日出子はまだ股間に物を挟んでいるような違和感があり、片足を引きずるようにして歩いていた。その日は、
朝一番のバスに乗って、学校に近い播磨山公園前のバス停で降りることにした。公園周辺には報道記者の
テントがいくつか見られたが、昨日の雨で人の姿がまばらになっていた。彼女は、公園の端の方から黄色
いテープをくぐって斜面を登っていく森崎空の姿を見かけた。

(立ち入り禁止の公園で何をやってるんだろう?)

日出子はしばらく眺めていた。そこへ、茂みの中から見覚えのある雑種の仔犬が現れて、空の後を追いかけて
行った。

(私たちが飼おうとしていた子犬だ・・・)

日出子は足を引きずりながら丘陵の斜面を登っていった。公園の奥で空が焚き火をしている・・・一斗缶の中
に入れているのは、通学路の途中で見かけたあの動物の死体だろうか?・・・その周りを仔犬が走り回っている。
日出子はハッとした。「森崎空が動物を殺して食糧にしている」という女子生徒の間で囁かれている噂を思い
出していた。彼女は慌てて何度かつまずきながら、空と仔犬の間に滑り込んできた。

日出子はランドセルからメモ帳を取り出すと「この子をどうするつもり?」と書いて、空に見せた。

空は日出子の焦っている様子を見て、微かに笑みを浮かべながら手話で答えて来た。

(殺したりしないわよ・・・・おとといの朝、道端で拾ったんだ。この子と一緒にね・・・・・)

空は一斗缶の中で燃えている犬の足を指差して言った。日出子は空の言っている意味がよく分からなかった。
彼女は、昨日の朝も公園に犬を連れてきたが、雨が降ってきたので焚き火を中断したらしい。美月が拾った犬と
は別の犬なのだろうか?・・・・仔犬がビニール袋とじゃれている様子を日出子は呆然と眺めていた。ビニール
袋には手書きで「燃えるゴミ」と書いてあった。彼女は次第に全身から血の気が引いていくのを感じていた。

(あれは、美月が仕掛けた「罠」だったんだ・・・最初から、犬なんていなかったのよ)

美月は全て見ていた・・・・学校でも、おばけ団地でも・・・・わざと危険な場所に誘い込んで、自分を見捨てた
のだ・・・・・・日出子は足が震え出し、立っていられなくなった。

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森崎空は、うな垂れている日出子を無視して、公園の地面に幾何学的な図形を描いていた。

日出子が顔を上げた時、空は、黒い液体が入っている洗面器に、焼いた犬の骨を加えて丁寧にかき混ぜていた。
それを自作のろ過器のようなバケツに入れ終わると、公園の遊具に座りながら、木の枝をカッターナイフで削り出
した。

(・・・・・・・・・・・・・・・・何してるの?・・・)

不純物を分離してるのよ・・・少し時間がかかるわ)

空はバケツから数メートル離れた地面のサークルに、Y字型に作った木の枝を突き刺した。日出子も自分の周
りに、いつの間にか円が描かれていることに気付いた。

空はバケツの蓋を開け、中に固定されているステンレスの板にリード線を繋ぎ、通電テスターのチェックを始めた。
電源はショルダーバックの中にあるようだった。日出子がバケツの中を覗こうとすると、空が

(下がってて、不安定な影に取り憑かれるわ)

と言った。日出子が自分のサークルに戻って観察していると、バケツから軟体動物のような黒い液体が這い出し
てきて、Y字の木のサークルまで伸びて行った。空は液体が木の枝に絡みつく様子を確認し、手袋をはめながら
一斗缶の中で熱していた「バール」を取り出した。そして、バケツから伸びている液体にそれを押し当て、胴体
を切断するようにまっすぐな線を描いた。液体は火傷を負ったような勢いで暴れ出し、全体が炎に包まれると一
瞬にして消えてしまった。日出子には、空がマジックのショーを披露しているように見えた。

空が満足そうにY字の木の根元を眺めているので、日出子も近寄って地面を覗き込んだ。

サークルの中には小さな犬の影があった。

(あの子の「影」が再生したわ・・・成功よ)

目の前で起きている現象が理解出来ない日出子は、空に説明を求めた。空の話によると、動物の影には光の波長
の影響を受けない未知の単分子層があって、身体の一部さえあれば死後も再生出来る。彼女は、ある本を参考に
して、その層を可視化する方法を見つけたらしいのだ。

(死者の影は生前の頃と同じように、意思は持ってないの・・・記録フィルムのように過去の行動をただ繰り返すだけ
・・・でも「帰巣本能」みたいなものは持ってるのよ・・・・影の持ち主を探して、その後をついて行こうとする・・・・・・)

日出子の近くで座っていた仔犬が死んだ仲間の影に気付いて走り出した。影も生き残った仔犬の後を追って離れよ
うとしなかった。

(あの子たちは双子だったのよ・・・いつも一緒にいたから、影は、本当の自分の姿が分からなくなってるの・・・)

仔犬たちの影は何事も無かったかのようにじゃれ合っていた。日出子は、これらの現象の仕組みについて、ほとんど
理解出なかったが、かつて一緒に遊んだ頃を思い出したかのように喜んでいる双子の犬の気持ちは分かるような気
がした。

日出子の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。彼女はいつまでも、仲の良い双子の影を見つめていた。

 

Chapter5へつづく

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