Chapter7:「追跡」

「ありがとう・・・水沢さん」

城戸澄也の妹が、玲於奈が持って来たお見舞いの花を受け取った。
明るい色のバラやガーベラ、そして学校で城戸と育てたマリーゴールドなど、玲於奈自身が選んで組み
合わせたものだった。

玲於奈は、長期にわたって植物状態が続いている教師の顔を見つめていた。

消火器落下による城戸の後頭部の外傷は、脳が硬膜を突き破ってしまうほどの粉砕骨折だったが、森崎
空の応急処置によって、なんとか一命を取り留めた。

事件後に、関係者全員が警察の事情聴取を受けた。消火器の指紋が何者かによって拭き取られていたこ
とが新しい事実として分かった。しかし、結局、警察は犯人を特定することは出来なかった。城戸の家族も、
学校側に損害賠償を求めて提訴するようなことはしなかった。

(頭のケガで意識障害になって、植物状態が数ヶ月続くと、回復の見込みはまず無いらしい・・・空があの時、
現場にいなければ、先生は助からなかったかもしれない・・・・でも、今の状況は喜べるほど「助かった」と言
えるのだろうか?)

面会を終えて、エレベーターホールへ移動した玲於奈は、小児病棟からパジャマ姿で走ってくる少年を見か
けた。

「待てーーっ、ハギト!!」

猫の形をした影が、玲於奈の足の下を通過し、続いて少年が股下にすべり込んできた。少年はそこから無理
やり這い出そうとして暴れたために、玲於奈の身体はよろめいた。彼は玲於奈のスカートから頭を出すと、Y字
型に接着された鉛筆を差し出した。

「お姉ちゃんもあいつを捕まえてよぅ」

まるで弟のように甘えた声で話しかけてくる少年に玲於奈は戸惑った。そこへ、杖をつきながら、不自由そうな
片脚を引きずって歩く初老の男が現れた。立派な背広を着ていたが、その左腕がだらりと下がっていた。

「ここにいたのか、恭太郎君・・・・早く病室に戻りなさい」

「ナガミネおじさん、ハギトが逃げちゃったよ」

「ほら・・・まだ、あそこのデイルームの入り口のところにいますよ。走らなくても大丈夫ですから」

少年は、立ち上がって猫の影の追跡を続けた。ナガミネと呼ばれた男が玲於奈を見て愛想笑いを浮かべた。

「その制服は・・・・・お嬢さん、十全堂小学校の生徒さんだね・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「君は、5年生の森崎空さんのお友だちかい?」 

藪から棒に、どうして空の名前が出てくるのか、と玲於奈は怪訝な表情になった。

「・・・・・・そんな名前の子、学校にいたかしら・・・・・?」

その男は、玲於奈がわざとそのような言い方をしていることに気付き、再び、愛想笑いを浮かべた。

「君・・・今見たことを彼女には内緒にしてくれるかい?」 ナガミネは、玲於奈の傍に近寄って、四つ折にした
一万円札を手渡そうとした。よほど空に秘密にしなければならない事情があるのか・・・玲於奈は好奇心を示
した。

「あの生意気な男の子のこと?・・・・それとも、変な猫の影のこと?」

「出来れば・・・・両方、お願いします・・・・」 

そこへ、若い看護師の女性が現れた。ホールに響くほどの甲高い声で片腕の男を怒鳴りつけた。

「長嶺さん、安曇恭太郎君を病室から連れ出さないようにしてもらえますか?・・・明日、手術なんですよ。い
くら理事長でも、例外は認めませんからね!」

「理事長・・・・・・?」 玲於奈は唖然とした。聖セフィロト国際病院の理事長の長嶺洋一は「へへへ・・・」と
ばつが悪そうに笑った。

病院を出て、エントランスを歩きながら玲於奈は考えていた。「安曇恭太郎」という名前に聞き覚えがあった。
・・・・・・だが、いくら考えても、それが誰なのか思い出すことが出来なかった。

そこへ突然、駐車場から黒いバンが現れ、玲於奈の数メートル先を歩いていた少女を撥ねた。バンからポリ
タンクを持った覆面男が数人飛び出してきて、ガソリンの匂いがする液体を周囲に撒き散らし、引火させた。

***********************************************************************************************

森崎空と篠美月が日出子の影を使って、宿主の捜索を始めたのは、その前日のことだった。

影の帰巣本能を利用すれば、日出子の居場所は特定出来る。宿主と勘違いされている美月を見失えば、影
は磁石のように本来の持ち主の元へ帰る筈だ。

空は影の「追跡」を始める前に、日出子の現在地を絞り込もうとした。闇雲に影を追跡しても、天候の変化や
建物などの他の影の影響で見失う危険性も十分考えられる。影の移動速度は時速4Km程度なので日出子が
他県などにいる場合は、追跡に何日もかかってしまうことだろう。

美月に上野・横浜・八王子・浦和などの東京近郊の都市を一周するような形で移動してもらい、楔で固定し
ている影が反応する方角からエリアを絞り込んでいった。連絡方法は美月と日出子の携帯電話を使った。
日出子の「携帯」は、美月の入院時に母親に取り上げられていて、結果的に、それが日出子の失踪に気付くこ
とを遅らせる原因になっていた。母親はGPS機能付きの携帯を取り上げた事を後悔していた。経済的に余裕が
無い空は携帯電話を持ってなかったので、日出子の電話を借りて美月と連絡を取り合った。

二人の努力の結果、日出子が東京の多摩北部・・・空と美月の生活圏から、予想以上に遠くない場所にいること
が判明した。

空は日が暮れてから、一旦自宅へ戻り、キャンプのテントなどに使うアルミニウム製のペグをグラインダーなどで
加工して、頑丈なY字の楔を作り上げた。その日の捜索で、生きている生体の影に対して、楔の効力が不安定で
ある事が分かった。やはり、日出子の影は固定してた楔が外れて逃げ出したのだ。空は楔の本数を増やすことで、
それを凌ごうとした。

翌日、美月と日出子は播磨山公園で合流し、美月に千葉県に移動してもらい、日が暮れるまでその場で待機す
るように指示した。空は、その日のうちに日出子を見つけ出す予定だった。美月が移動する間に影の楔が何度
も外れそうになった。今日は影が美月を追いかけるようなことがあってはならない。空はハンマーでアルミ製の楔
を何本も打ち直した。

(こんな回りくどい事をしなくても、春原に連絡して、安曇恭太郎を探した方が早いのではないだろうか?・・・・
日出子の影を切り離せる人物は「影の構造」を理解している者でしか絶対あり得ない。おそらく、安曇恭太郎が
「操影法」を完成させようとして、生体実験を行うために日出子を誘拐したのだ・・・でも、もし、春原やその周囲の
人物が安曇恭太郎の仲間だった場合、誘拐の事実を隠蔽しようとして、日出子の生命が危険に晒される可能性
が高くなる・・・やはり、安曇に気付かれる前に日出子の居場所を突き止める方が賢明だ・・・・・)

影の動きが止まった。美月より日出子が近い距離にいることを感知したようだ。

空は慎重に楔を外した。影はのろのろと北西に向けて移動し始めた。もし、影が直線距離を移動していたら、追跡
は難航していたことだろう(その際、空はカメラを搭載したラジコンヘリを使ったかもしれないが)。しかし、再生さ
れた影は、宿主の行動パターンを忠実に再現しているので、基本的に人が通らないようなルートを歩くことは無
かった。影と同じ歩調で移動していれば、建物の影で見えなくなったり、楔が刺さらないことがあっても、見失わず
に追跡を続けることが出来た。

追跡は朝焼けが影を照らす午前5時頃から、午後3時まで順調に進んでいた。路上ですれ違う大人も特に日出子
の影を気に留める者はいなかった。大人とはそういう生き物だ。自分の理解を越える存在に気まぐれで関わろうと
はしない。午後になって低学年の子供が不思議そうな顔をしてついてきたが、1Kmも歩かないうちに飽きてしまっ
たのか、いつの間にかいなくなっていた。想定してたような大きな問題は起こらなかった。空は順調過ぎた為、か
えって不安な気持ちになっていた。

(相手だって馬鹿じゃない・・・分影された影が何処へ消えたかは想像がつく筈だ。何故、一度も美月の周辺に誘拐
犯は姿を現さないのか・・・・・それとも、これは自分を誘い出す為の罠なのだろうか・・・・・?)

空は多摩地区の道のりを40Kmほど移動していた。日出子の影は田園風景の中にそびえ立っている要塞のような病
院の敷地の中へ入っていった。

(聖セフィロト国際病院?・・・・日出子はここに隔離されている・・・・???)

空がショルダーバックから携帯電話を取り出して、美月に連絡するために番号を打ち込もうとした瞬間、空は自分
の身体が宙に浮いていることに気が付いた。地面に叩きつけられた時に初めて自分が車に撥ねられた事を理解
した。黒いバンからポリタンクを持った男が現れ、日出子の影にガソリンのような液体を浴びせ、着火器具を使用
して引火した。影はまるで生きた人間が焼かれたかのようにのた打ち回り、一瞬にして消えてしまった。

空は狼狽した。影を失った宿主は確実に死んでしまう。これでは、日出子を発見しても全く意味が無いのだ。

何のために自分はここへやって来たのか、空は立ち上がろうとしたが、打撲を受けた衝撃で身体が動かなかった。
頭を強く打った為に意識も朦朧としていた。空は気絶する直前に自分の目の前を通過する少女の姿に気付いた。

水沢玲於奈は白目を剥いて気を失っている森崎空の様子を確認すると、自分の携帯電話を取り出して城戸の面会
の時に利用したナースステーションの直通電話をリダイヤルした。電話にはエレベーターホールで見かけた甲高い
声の看護師が対応した。

「理事長のナガミネに伝えて・・・病院のエントランスであなたの友人が車に撥ねられたわ」

玲於奈はすぐに電話を切り、黒いバンの開いているスライドドアから中へ侵入した。車中には予備の物と思われる
ガソリンのポリタンクが置いてあった。玲於奈はそれを持ち出し、中身を車内に向けて撒き散らした。玲於奈はガソ
リンの扱い方はよく知っていた。

「あ・・・あのガキ、何してるんだ!?」

戻ってきた覆面男が狂ったようにガソリンを撒いている少女を取り押さえようとした。玲於奈は残りのガソリンを男
たちに浴びせると、鬼ごっこでもしているような明るい表情で逃げ回り、ポケットの中にあるダンヒル製の金のライター
を取り出した。彼女が昨年、焼身自殺を計画した時に購入した物だった。彼女はライターを点火すると、それを車
の中へ放り込んだ。

バンのドアから炎が噴出し、揮発性の高い液体を大量に浴びた男に飛び火した。玲於奈は息を呑んだ。

「熱い、熱い、助けてくれーーーっ」

一人の男が火だるまになっていた。他の覆面男たちはしばらく呆然とその様子を見ていたが、炎に巻き込まれること
を怖れ、次々にエントランスから逃げ出した。玲於奈は火傷を負った男が必死に助けを乞う様子を見て、焼身自殺を
してもすぐに死ぬ事が出来ないことを理解した。玲於奈は人間の焼けた肉の匂いを嗅いで吐きそうになった。自分も
このような姿になる予定だった。こんな惨めな最期は遂げたくないと思った。全身が黒焦げになって動かなくなった男
に向かって彼女は呟いた。

「・・・・・・・やられたから、やり返しただけよ・・・・」

覆面男は、半年前に玲於奈を襲った暴漢の仲間だった。

玲於奈は失神している空を炎上する車から引き離した。その直後に車は爆発した。田園風景に似合わない黒煙が立
ち上っている様子を見つけた近隣の住民や病院の患者たちがエントランスに集まり出した。遠くの方から消防車のサ
イレンの音も近付いて来た。玲於奈は、芝生のあるエリアまで空を移動させると、そのまま放置して出口へ向かった。
後は看護士が対応してくれるだろう・・・彼女は、無残な死体の匂いを思い出して何度も咽返りながら病院を後にした。

 

Chapter8へつづく

INDEXへ戻る