Chapter9:「逃走」
今年で二十歳になる稲森妙子は、舞台女優を目指していた。 彼女は幼少の頃に、大阪で公演されたミュージカル「アニー」を見て以来、舞台の主人公に憧れ、女優の道を しかし、悩みもあった。それは、舞台のギャラが安いことだった。小劇場の役者のギャラは1ステージごとの歩 幸い、彼女の生活圏内にある大きな病院で臨時のアルバイトを募集していた。彼女の仕事は、ある保護室に その部屋は鉄製の扉が付いていたが、施錠はされておらず、少女は部屋から出ることが可能だった。でも、 最近になって、他の病棟からパジャマ姿の少年が訪れるようになったので、妙子はすぐに雇い主に報告した。 妙子は、自分の仕事に対して疑問点が多かった。少女の名前も分からなかったし、影が無いことも気になった。 アルバイトを始めて17日目に、彼女の仕事を脅かす事件が起きた。 監視モニターに、見慣れない学校の制服を着た背の高い少女が映っていた。侵入者は明らかに、保護室の 「待ちなさい!・・・あなた、何をしているの!?」 玲於奈は、追手に気付いて一瞬立ち止まった。別室から出てきたその女は、猫背で身長が小学生並みに低 「その子を部屋から出さないでよ!・・・・その子がいなくなると・・・・・私が困るのよ」 追手の態度は、叱るような口調ではなく、むしろ懇願しているように思えた。玲於奈は、その女を無視して、億劫 「あ・・・・待って!」 妙子は追いかけようとしたが、保護室から焦げ臭い匂いがして立ち止まった。開いている扉から煙が上がってい 「おい、どうしたんだ?・・・・女の子は何処にいる!?」 妙子は観念した・・・・これは「クビ」確定だ。彼女は肩を落として、監視していた子供に逃げられた事を報告した。 「君が新しいパートの監視員か?・・・彼女は早急に保護しないと命に関わるんだ・・・一緒に探してくれ!」 妙子は戸惑っていたが、給与の保障をすると言われ、ようやく気を取り直して男の指示に従った。 子供たちが出て行った非常口の外は、患者のシーツやオムツを回収するリネンサプライ業専用の駐車場だっ 「あそこよ!」 春原が振り向くと、エンジンがかかったまま駐車していたワゴン車が急発進した。 ワゴン車は蛇行しながら公道に飛び出し、更にスピードを上げて走り出した。病院の周りは田畑ばかりで見渡しが ************************************************************************************************** 「安曇家はもうおしまいだ・・・・・」 霊安室の前にあるソファーに座って長嶺洋一は頭を抱えていた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 空は怒っていた。人を欺くゲームにしては度を越している。空の目の前で死んだ少年の名前は「萩人」だった。 やがて、長嶺の方から重い口を開いた。 「空さん・・・今回の件は私が仕組んだ事ではありません。私は・・・あの子が「恭太郎」の名前を使う事に反対でした。 「彼は何かに憑かれたかのように、自分の名前は「萩人じゃない」と言い張りました。無理やり言い聞かせようとした 「猫の名前が・・・・「恭太郎」ってこと?」 「いいえ・・・彼が「ハギト」と呼んでいたのは、安曇家の裏庭によく姿を現していた野良猫です。名前なんかありませ 空の表情が一瞬、険しくなった。 「萩人君は入院してからも、あの猫に会おうとして病院を抜け出した事がありました。私はやむを得ず、適当な病名 「・・・・・・・・彼が、自分を「恭太郎」と思い込んだのは何故?」 「それが・・・・正直言って、私にもよく分からない・・・あなたが探している安曇恭太郎は彼の親戚にあたる者なんです 空は立ち上がって、長嶺を見下ろした。 「また、私を騙そうとしているの?・・・・あの子は日出子の居場所を知っていた。日出子は誘拐され、影も失ってしまっ 「いや・・・その・・・・空さん、私の立場は基本的に春原君と同じなんだ。人間を「操影法」開発の実験に使うことは、 空は長嶺のステッキを取り上げ、彼の喉元に突きつけた。 「安曇の事なんかどうでもいいわ・・・・篠日出子に今すぐ会わせなさい」 長嶺は、空の脅しに動じることはなかった。影を失った人間は放っておくと必ず数ヶ月で死亡する。彼女の延命治療 「空さん、あなた腰を痛めているんでしょう?・・・あまり無理をしないで大人しく静養して下さい。日出子さんの事は その時、長嶺の携帯電話が鳴った。長嶺は目の前の空を相手にせず、通話ボタンを押した。 「長嶺だ・・・稲森君、ワゴンは見つかったか?・・・・・そこに春原君もいるのか?・・・え?・・・・何っ!撃たれた? ************************************************************************************************** ワゴンは貯水池の手前にあるT字路のカーブを曲がりきれず、大量のシーツを撒き散らして横転していた。 春原は、その場所の近くに自分の車を停め、立ち入り禁止の柵がある茂みの中へ入っていった。この奥には着工 「おい!こっちへ来い。病院へ戻るんだ」 春原の後の茂みから妙子が現れた。妙子は長嶺に連絡すべきかどうか迷っていた。彼女の臆病な性格から、出来る 「その子を屋外に出してはいけないんだ・・・俺たちは誘拐犯じゃない・・・君と同じ学校の生徒、森崎空の知り合いだ。」 「ふんっ、空の知り合いなら、ますます信用出来ないわ・・・それ以上、近づくとただじゃ済まないわよ!」 玲於奈は懐からダガーナイフを取り出し、日出子の首に押し当てた。どっちが誘拐犯なんだ、と春原は呆れたが、彼 玲於奈の身体が大きく揺れ、手摺の無い橋から20メートル下にある貯水池へ落ちて行った。 日出子が橋の下を見ながら奇声を上げていた。彼女の感情を抑える薬が切れたようだった。 春原の脇をすり抜けるようにして、白衣姿の若い研究員たちが橋を渡って行き、今にも橋から落ちそうなほど暴れてい 「やれやれ、こんな所にいたのか・・・・あまり、僕の研究の邪魔をしないで下さいよ、春原さん」 そこには狩猟用ライフル「アーマライトAR7」を構えた安曇恭太郎が立っていた。
Chapter10へつづく INDEXへ戻る
|